そこで、六十歳ということを理由に、僕達夫婦主催のモチツキ大会は最後にすることにした。もし、息子やその友人達や、会社の若者達が続けたいというのならば、場所も提供するだろうし、道具も喜んで差し上げるつもりである。そもそも、モチツキを始める時に考えたことは、モチツキは体力を計り知るバロメーターであると認識した。
従って、モチツキを維持する為には、大家族制度が確立されていなければ存続しないことは自覚していたのだ。
そこで、今年、僕主催の最後のモチツキをするにあたって、最高のモチ米を用意した。
新潟の魚沼界隈で『ぶんずいモチ』と呼ばれている、極少量しか作られていない幻に近いモチ米を二十キロだけ用意した。聞くところによると、このぶんずいモチのモチ米は、棚田の上の方だけでしか採れず、しかも普通のモチ米の半分の収穫量しか望めないとか。そのかわり、香りと旨味と粘りは群を抜いていて、新潟広しと言えども極一部の人しか作付けしていないそうで、僕は無理を言って五俵(三百キロ、精米すると二百七十キロに目減りしてしまう)のうちの二十キロを分けて頂くことに成功したのだ。
このぶんずいモチ、僕は一度だけ食べたことがあるが、モチの中のモチといっても過言ではないだろう。甘くて旨くて、ツキたてもよし、焼きモチにしても雑煮に入れても素晴らしい。だから、最後のモチツキに少しだけでもツキ上げ、参加者に味わって頂くと共に、来年の正月用のモチとして準備する積もりだ。
おそらく、今年は全部で六十キロ(約二十臼位)になるだろうが、他のモチも黄金モチと呼ばれている、かなり旨いモチ米を用意する積もりだ。出来るだけおいしいモチをツキ上げ、参加者全員にモチツキの有り難みを叩き込む積もりでいる。数年経って、息子達の世代の中から、「やっぱり、モチツキをしようよ、自分でツイたモチは、全然味が違うよ」と、言わしめたいのである。
|