そもそも、博多の辛子明太子のルーツはと言えば、当然のことながらお隣の韓国である。辛子が日本語で、明太子は韓国語なのである。つまり、韓国語でタラのことをミョンテイ(明太)と言い、その卵だから子となる訳だ。この辛子明太子の原形となる、いわゆる韓国版はミョンラン(明卵)と呼ばれ、今でも韓国の市場などで売られている極めてポピュラーなお惣菜である。ただし、当然のごとく大量の唐辛子とニンニクが使われている、どちらかと言うと塩辛的な食べものだ。これに、ごま油をたらし御飯に乗せて味わう。
この韓国のミョンランを、釜山生まれの河原千鶴子さんという方が戦後日本に引き上げて来られ、韓国での懐かしい味をスケソウダラを用いて独自の工夫を加え再現されたそうである。昭和25,6年の頃である。この日本で生まれ変わった辛子明太子は、しばらくして博多の中州市場でのみ細々と売られていたらしい。これを、父の友人で中州で不動産業を営む榎本さんと言う方が、上京の折に手土産として持って来られた。多分、昭和三十年の中頃だったのではなかろうか。辛子明太子は我が家では大人気で、食べ尽くしてしまうと福岡に連絡を取り、
「中州市場で、辛子明太子仕入れて来てね」
土産の催促をする始末である。
やがて新幹線が開通し、東京と福岡の間は更に縮まった。と同時に、辛子明太子は人々の間で広く認知され、いつの間にか福岡を支える一大産業へと発展したのである。だが、何も分からない旅行者へ、ただ売れればよいという供給の仕方にはいささか疑問を感じる。昨今は、食品添加物に対する認識がかなり高まって来た。となると、辛子明太子は大変なことになる。
昔から、日本ではタラコは保存という意味合いからも、食紅を用いて赤く着色を施していた。この他にも、保存の為にソルビン酸のような保存料を添加して、持ち歩いても傷まぬように加工されていたのである。辛子明太子とて同じこと、原料はタラコだから赤く着色しないと売れない。もともと、魚の腹から出したタラコは沈んだ山吹色というか、黄色がかったものである。おまけに、羊膜というのか卵を包む膜には血管が浮き出ていたりする。これを食べたって何のことはないのだが、見た目で気持ち悪いと感じる方が多いようだ。そこで、赤く染めて売り出した。我々は、タラコは赤いものと思い込んでしまったのである。
もう一つ悲しいのは、無添加と記してあるのにも拘わらず、グルタミン等を平然と使うことである。この辺りは、我々消費者にも責任があるのだが、何とか解決しないといけないと思う。さすれば然る後、本当においしくて安全な博多名物辛子明太子を、我々は心おきなく楽しめるのではあるまいか。
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