19






『スローフードな人生』の著者である島村奈津さんが、北イタリアのヴァルヴェスチーノという小さな村から、素朴ですこぶる香りの高いチーズを持ってきてくれた。形や色合いは、パルメジャーノと似ているが、塩気が余りなく高貴な香りが漂うチーズである。固い塊に包丁を入れ、ある程度の大きさにスライスすると、良い具合にポロポロとして食べやすい。味はまろやかで、口の中で優しく溶け、舌の周りにいい感じの膜を作ってくれる。もしかすると、ワインもさることながら、さらりとした日本酒に合うのかも知れない。

ヴァルヴェスチーノなんていう村は、日本のガイドブックはおろか、かなりの世界地図を探しても見つけるのはかなり難しい。目安としては、ヴェローナの北にあるガルダ湖の中間のやや北に寄ったところで、イタリア人もあまり訪れない過疎に近い村のようである。聞くところによると、彼女がその村を訪れた初めての日本人だとか……。そんなことはどうでもよろしいのだが、この村のチーズは何と7年ものとか、12年ものとかがあって、滅多なことでは村から出ることはないそうである。

村人は、三日に一度、このチーズに麻の実油を塗り、じっくりじっくりと熟成させるそうである。そう考えるとこれは大変な作業だ。年に100回油を塗るとして、7年ものなら700回、12年ものは1200回。とんでもないチーズである。果たして、日本にこのような食べものがあるだろうか。しかし、どんなに手をかけた食べものとて、食べる時は一瞬にして咀嚼してしまう。だからであろう、このチーズは村の中ではいくら食べてもよいが、村から持ち出さないで欲しいと、村から持ち出すとてきめんに味が変わると、村人は拒むそうである。

いやはや、日本で食べてこれだけおいしいチーズ、ヴァルヴェスチーノ村で食べたらどれだけおいしいのだろうか。村には石造りの民家を改装したコテージがあり、誰でもがかなり安く泊れるそうだから、湖水地方の野山をトレッキングがてら、是非是非ゆっくりと訪ねて、スローフードの原点であるようなチーズを心ゆくまで味わってみたいと思う。



Kubota Tamami


ところで、日本にも奈良時代の頃からチーズはあったとか。酥(そ)とか酪(らく)という乳製品が中国から伝わり、朝廷周辺で食べられていたらしいが、現在のチーズとはやはり程遠いものであったらしい。醍醐と呼ぶ同じものがあり、この味を称して、醍醐味という言葉が生まれたとものの本に記してあるが、如何なものであろうか。もし、本当に旨くて、体によいとなれば、どんな逆境にあったとしても、日本のどこかに脈々と生き残っているものと思う。古文書による再現で出来上がったものを食べさせて頂いたが、チーズというよりは、乳製品の練り菓子という感じであった。

まあ、専門的なことは歴史学者にまかせることにして、日本のチーズは明治の初めに、ダンさんというアメリカ人が作ったとか。何となく、ひとごとのような気がしないのである。他愛のない話はどうでもよいとして、どうして日本にはプロセスチーズばかりが伝播してしまったのであろうか。しかも、くせのないものばかりである。もっとも、保存ということを考えれば、致し方のないことではあるけれど、日持ちのするナチュラルチーズも多々あるのになー、と、つまらないことに執着してしまうのである。

もし、日本にナチュラルチーズが明治の頃に浸透していれば、日本料理の形態もいささか変わっていたのではなかろうか。チーズフォンデューとまではいかないにしても、日本に多々存在する鍋料理にも、必ずやチーズが用いられていたと思う。昭和26年頃、大流行作家の坂口安吾さんが、半年ばかり我が家に滞在されていた。当時は、ナチュラルチーズはおろか、多くの方々が食糧難に苦しんでおられた頃である。そんな時、何と安吾さんの冷蔵庫の中には、ブルーチーズが眠っていたのである。

安吾さんが自ら安吾鍋と命名した、あらゆる食材を投入するという、贅沢な鍋がある。父の話や文献を読み、僕なりに再現してみたのだが、これは素晴らしい鍋だ。何しろ、鶏、魚、豚肉、それに八百屋さんに並んでいる野菜の殆どを使うのだから、まずいわけがない。安吾鍋は贅沢すぎるので、ありきたりのちり鍋をした後の雑炊に、グリエール、エメンタール、ロックウォールの三種のチーズを同量用意し、御飯を加え沸いたところにこのチーズを入れる。チーズがトロリとしたら火を止め、熱々を頂く。塩気はチーズにまかせる。さて、いかがな味がするものか、是非お試し頂きたい。唸ってしまう筈である。