店主敬白・其ノ五



知人のSさんに熱海温泉の旅館に招待された時、大風呂から出て、からだを拭いていると、Sさんが「さすが同業者だねえ」と話かけてきた。「何がですか」とたずねると「からだを洗ったあと、シャワーで泡はきれいに流す。桶や風呂椅子はセットするし、廻りの桶や椅子までセットして、ひげ剃りまで集めてゴミ箱に入れていた。私なんか生まれてから一度もやった事がなかったけど、つられてやってしまったよ」と感心されてしまった。「貧乏性なもので、恐縮です」と答えたが、実を言うと、ついこういう事をやってしまうのは、学生時代、居候ばかりしていた時の習慣なのである。

私が高校に入学して、間もなく、上級生といさかいを起こしてしまった時、当時、三年生でいわゆる番長をしていたKさんが間に入って事を収めてくれた。以来どうゆうわけかKさんと馬があって、えらく仲良くなって、敬語も使わないポン友になった。K君は湘南の鵠沼に住んでいて、遊びに来いよと誘われて、それ以来、私も湘南ボーイになってしまった。K君は地元では人気者で、彼のまわりには多い時は二〜三百人の仲間がビーチ遊びをしている。中には二十代後半の人や中学生もいて、大磯や鎌倉からも来ている。私もその仲間に入って、五月の後半から十月前半までは、ほとんど湘南から学校に通っていた。かくして、私の居候生活が始ったのである。K君の友達のS家がもっぱら、私の居候先となった。その後、居候先は次々と増えるのだが、S家は、子供五人兄弟で、内四人が男で皆明るく、わんぱくである。また、お母さんも、全くざっくばらんで、いきなり私もS家の息子扱いである。夜は私やK君、S家の兄弟、姉さんとお母さんの八人で大はしゃぎの夕食である。中でもお母さんがはしゃいでいるからS家は楽しい。私が高校三年で車の免許をとったら、このお母さん、大きなごみ用ポリバケツを二つ車に積ませて、「ともや(私の名前)! はまぐり採りに行くよ」と言う。指示通り車を走らせて海岸に着いたら、「この海に潜って、はまぐりを採って来い」と言う。ところが、`はまぐり養殖中につき禁漁aという看板がそこら中に立っている。「お母さん禁漁だよ」と言うと、「私に文句言う人なんかいないよ」とくる。潜ってみたら、はまぐりの山だらけ、ポリバケツはすぐにいっぱいになった。

こんな肝っ玉母さんのところに居候をしていても、私なりに居候の心得を修得した。まず、大切な事は、当り前だが、自分の存在が、家族の一人にでも不愉快なものになってはいけない。その基本として、不潔と思われてはならない。だから、自分の洗濯物は、絶対自分で洗濯する。次に風呂であるが、出た後は誰も使っていない位に、掃除しながら入浴する。布団を畳むのは当然、自分で使用した食器はもちろん、食器洗いは黙ってかってでる。各自の箸が決まっている家庭では、箸の間違い、歯ブラシの間違いもない様に別にしておく。買い物、お使い事は喜んで引き受ける等々である。

ビーチには、若い人のお母さん連中も散歩にくるが、私は彼女達から家に泊まりにおいでと引っ張りだこであった。なかには年頃の娘三人の家庭もあったが、ここでも、娘達手製の浴衣やパジャマが用意されていて、大もてである。お返しに、私は大きな花火を打ち上げる。

K君は夏によくガーデンパーティをやった。庭の大きな家に頼んで、庭を貸してもらう。昼からバーベキュー等の用意をする。人手はいくらでもいる。飲み物もたっぷり用意する。音楽は湘南では、いいバンドが数多く集まる。四百人から五百人位集まるパーティだから大金が集まるのだが、K君は儲けた事もなければ損した事もない。だから、お金の問題など出た事がない。K君に人気があるゆえんの一つだろう。K君のパーティはすごく盛り上がった後は、不思議な事にいつも、すごくロマンチックなムードになって、誰の心にも、強烈な夏の思い出を焼きつける。

夏が終わって、秋風が吹く頃になってもK君は海岸に行きたがる。「ともや、台風が近づいたから、いい波が来ている」と私を波乗りに誘う。そして、砂浜で、眩しそうに海を眺めながら「今の海が一番海らしくていいや」と言いながらも、夏を我物にしていた自分の寂しさをにじませる。「俺って変わっているだろ」とK君。「すごく変わっているよ」と私が答える。またK君「お前も変わっているよ。皆が居候に来いって誘ってくる。やっぱり、将来サービス業だな……」。

その後、私はアルバイトを始めて、鵠沼にはあまり行けなくなった。懐かしさだけは今も心に残る。



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