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つい先日、新緑が萌える北海道を旅した。旭川の銘木屋さんに預けてある埋もれ木を、九州の彫刻家に送る為である。埋もれ木と言ってもピンと来ない方が多いと考えるので、少しだけ説明させて頂くことにする。

北海道は、百数十年ばかり前は原生林に覆われた天国のようなところであった。先住の民アイヌの方々が、自然と共生しながら平和な暮らしを営んでいたのである。ところが、開拓という大義名分の許に、内地の人々が挙って入植し、森林を伐り拓いて現在の北海道になったことはどなたでも御存知のこと。

残念ながら、この開発で北海道の大木は殆どなくなり、現在は再生林として数百年後に再び蘇る日を待っているのである。とは申しても、北海道の雄大な景色は素晴らしく、僕も大好きな土地である。かつて暮らしたことのあるブラジルを思い出させてくれるのである。そんな北海道で、緑色をした木に出会った。余りにも美しいので聞いてみると、石狩川の河川工事などの際に川底から掘り出される材木だそうである。

地殻変動や洪水でなぎ倒された、センやタモやニレの大木が、川底で水に浸されたまま、何と千年以上も眠っていたのである。これが、少しずつ酵素により変化し、美しい風合いを見せてくれるのであった。新たに木を伐るものではないのだから、森林の緑は守れる。但し、河川工事というのがいささか気にはなったが、ともあれ直径が一メートル近い埋もれ木を数本買い求め、板にしてテーブルなどを作り楽しんでいる。樹齢千年の大木が、千年川底で眠り、新しく食卓として生まれ変わり、そのテーブルで食事を楽しむというのが目的だったのである。


Kubota Tamami


前置きが長くなり過ぎたが、材木を送るついでに、前々から気になっていたチーズ工房を訪ねることにした。興部(オコッペ)という紋別に近い、オホーツクに面した町である。旭川から興部への道中の景観は素晴らしかった。この景色を見ただけでも十分に旅をした甲斐があると言うもの。興部川沿いのなだらかな起伏の緑と一斉に咲く花を眺めつつ、三時間ほどで目指す「チーズ工房・アドナイ」へ到着。

大きな風力発電のプロペラの下に拡がる牧場の一角に、チーズ工房はあった。古い酪農家の跡地を十年ばかり前に工房にしたとか。御主人の堤田さんは僕と同じヒゲ面だが、意外と童顔である。企業で食品関係の仕事に携わりながら、興味のあったチーズ作りを目指されたのである。北海道の方と思っていたら、何と出身は熊本なのだそうである。

初対面であったが快く出迎えて下さり、工房の入り口に備えてある丸テーブルに、おいしいエスプレッソと五、六種類の手作りチーズを並べて下さった。イタリアで修業されただけに、それぞれのチーズは本格的というか、本場イタリアのものと比べても勝るとも劣らぬ味わいである。かつてイタリアのガンベロロッソのスタッフのステファノ氏が、アドナイのチーズを食べ、日本にこんな旨いチーズがあるとは、と驚嘆していたと島村奈津さんが言っていた。

フレッシュ・モッツァレラ、カッチョカバーロ、スカモルツァ、ゴルゴンゾーラ等々、どれをとっても風味豊かで味わい深いものばかりであった。そして驚いたのは、五種類のチーズに「のぞむ」「いずみ」「つばさ」「めぐみ」「さゆり」の名前がついている。聞けば、何と娘さんの名前で、他にも男の子がいて都合十人の子宝に恵まれたとか。この子供達が力を合わせチーズ作りに励んだら、数年後には、世界に誇れるアドナイチーズ工房になるのでは…。ともあれ、食が子を育むという、典型的なチーズ生産者にお会いし、舌も心も清清しい気分になったのである。


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