店主敬白・其ノ四


昨年、群馬に出張した際、近くの磯部温泉の旅館に泊まった。そこではいわゆる大衆旅館が高度にプロ化されているのに驚かされた。一昔前とは大違いである。これは少し、勉強する必要があるなと思って次なる旅の機会を探していた。そんな時ふっと「奥入瀬(おいらせ)」という地名が浮かんできた。私は、仕事でずいぶんと青森に行った事があるが、「奥入瀬はいいよ」と言われながらついぞ行った事がなかったからである。

かくして青森空港に降り立った。案内が欲しいと思い、観光タクシーをお願いした。観光は初めてだと言ったら、先ず、「ねぶたの里」へ案内された。大きな体育館のような建物の中を暗くして、大型ねぶたが十数台展示してある。灯りがともっていて、ねぶたの迫力が身近に感じられる。弘前の「ねぷた」も展示してあり、違いもよくわかる。弘前の方が本家であり、弘前は城下町だったから本来「ねぷた」と言うのを、青森では遠慮して「ねぶた」と名を変えたとの事。そして「ねぶた」とは夏の暑気からくる眠気払いを言うそうである。「ねぶた運行ショー」にも参加した。十メートル位であるが、本物のねぶたを引いてみる。思ったより軽い。さらにねぶたのまわりを跳ねるハネトも笛、太鼓、鐘に合わせて跳んでみた。「ラッセー、ラッセー、ラッセラー」と掛声を出していると、なんだか気分ものってくる。昔、青森に行った時は、四月頃から、八月のねぶたの事で誰もが話を弾ませていたのが思い出される。

気分が乗ったところで車は八甲田へと向う。千数百メートルの山々を総称して「八甲田山」というが、車が走るにつれて勇壮な景色も色々と味を変え、見ていて飽きない。酸ヶ湯温泉に立ち寄り、睡蓮(すいれん)沼に行く。湿地に小さな沼があり、素晴しい八甲田の山々を沼面に映す。この沼に咲く睡蓮(ヒツジグサ)と呼ばれる小さい花は、八甲田山とは対照的に小さくて可憐である。そして、いよいよ「ブナ林」である。よく新聞等でブナ林を守ろうという記事を見るが、本物を見てしまったら絶対に守らなければいけないと思う程に神々しい森である。ブナ独特の白っぽいまだらの木の肌が異世界を創り出し、まさに、神々が住み賜うという神秘性に溢れている。ブナの森が絶えると全長十四キロの「奥入瀬渓流」である。奥入瀬渓流は、一〇二号道路に沿っているが、運転手は歩けと言う。実際、奥入瀬は歩かなければその良さはほとんどわからない。私は、この渓谷へ入ったとたん、これは凄いと思った。そして、歩けば歩くほどに魅せられていくのである。今迄、何度も奥入瀬の写真は見たが、写真には本物の素晴しさは何一つ写っていない。ここの素晴しさは、生で見る以外味わえない。文章など一文字も書けない。明治の文人、大町桂月が奥入瀬の景勝を讃えて「住めば日の本、遊ばば十和田、歩きや奥入瀬三里半」と謡ったが、これ以上の言葉はないと思う。奥入瀬が終わって十和田湖に出る。ここ、子の口より遊覧船に乗る。十和田湖の魅力は「静寂」ではないだろうか。雄大な山も深碧の湖面も、木々一本一本の美しさも、存在していて、静寂である。それが何よりも美しい。

宿は、十和田湖畔の旅館を予約しておいたが、運転手は「バスが十台以上も来る旅館はね、食べ物は仕出し会社から運ばれたものだけで、食べられる物もないし、サービスも悪いよ」と言う。実際、入ってみると部屋も情緒がない。食事はというと、驚くほど大層な料理が並んでいた。味噌汁には伊勢えびがまるごと一匹、毛がにが一匹、大きな姫ますが一匹、きりたんぽ鍋、しゃぶしゃぶ鍋、大盛刺身、かにの天ぷら、その他にも前菜、煮物、焼物、フルーツ等。なんと、これが一人前なのである。その量にはびっくりした。仲居さんは「どうぞ、残して下さい」と言う。一通り箸を付けた。ところが伊勢えびも毛がにも冷凍が古くて乾燥して全く食べるところがない。その他の物も、姿は料理であるが、食べられた物ではない。ただ、秋田小町のご飯と刺盛の中の殻付の活きたあわびだけは美味しかった。かにの天ぷらもまあまあ。仲居さんに「ご飯、美味しいですね」と言ったら、「皆様、ご飯だけは誉めて頂いてます」との答えだった。後で考えたが、宿代を考えると、食事はあわびとかにの天ぷらにご飯で充分である。その他の物は、客の目を楽しませてくれるデコレーションであって、伊勢えびや毛がにを手にもって、写真も写せ、豪勢な旅行をしたという記念にもなるよう、演出されているのではないだろうか。これも、立派なサービスではないかと。ここには、私の知らないサービス業があった。
翌日は、ブナの森と奥入瀬を二往復もしてしまった。


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