店主敬白・其ノ八


私の学生時代、父の友人で中尾進という画家がいた。前から、父は、この人の画をよく買ってきて、家に幾つか置いてあった。私は、なんて暗い絵を描く人だと思っていた。そのうち、この画家が、作家の柴田練三郎さんの新聞小説の挿し絵を書くようになって、新聞でその絵を見るようになった。時々、その挿し絵に出てくる女性が妙に色気をもってきた事に気がついた。私の思っている中尾氏の絵のイメージと少し違って感じられたが、その頃の父が持ち帰ってきた中尾氏の絵も、以前とまるで違う、色彩豊かな、美しい絵になっていて驚いた記憶がある。

私自身も中尾氏には何回もお会いしていたが、ある時、父の用事で、中尾氏のアトリエを訪ねた事があった。その時、そのアトリエにあった絵は、以前、私が暗いと思っていた絵は一枚もなく、色彩の美しさに圧倒されるようなものばかりであった。とりわけ、一枚の絵が私をひきつけた。それは一人の女性を描いたものであった。中尾氏は「この絵をそんなに気に入ったのですか。この絵は鹿鳴館という題で、女優の岡田菜莉子さんをモデルにした絵です。そんなに気に入ってくれたのだから、君にこの絵をあげたいのだけど、これは、岡田さんにさしあげる事になっているからね。でも、これを描きあげたら、もう一枚同じ絵を描いて、君にプレゼントするよ」と言われた。

その後、中尾氏と酒を飲む機会があった。「君のあの絵、描き始めたよ」と言われ、私も大変うれしかった。その夜は、中尾氏の芸術論を中心に、ずいぶんとお話をさせてもらった。私も、率直に、以前、先生の絵は暗いという印象を持っていた事や、今の絵の美しさ等の話をさせてもらった。その時の中尾氏の話は、今も忘れない。

「羽根田君、芸術というのは指先だけなんだ」と言って、本当に指先を示して「ここだけが作り出すんだ。頭も関係ないし、心も関係ない。私に言わせれば、指先だけが考え、指先が心を持って作ってしまうんだ。だから、前の私の絵が暗いとか、今は色彩が美しいとか、それは、私の指先がやっている事なんだ。もちろん私もそういう風に感じているけれど、それは私の頭が感じているだけで、絵そのものを創り出しているのは頭ではない。指先だけ。高村光太郎ともこの話をした事があったけど、彼も私と同じ事を言っていた。本当に頭は関係ない。私の魂が私の指を動かしているだけ。高村君も指が創ってしまうと言っていた」そう話している中尾氏の話の熱っぽさは今もありありと目に浮かんでくる。

その後、中尾氏が亡くなって、私も遺族の方に鹿鳴館の絵の事も言えず、そのままになってしまったが、絵よりも中尾氏と酒を飲んで聞いた話の方がよほど私の財産になった。もうそれから随分と経つが、あの晩の中尾氏の話はいつも自分の中にある。中尾氏の話が、私に与えた影響はかなり大きいのではないか。いつのまにか、私は何らかの体験を通じて中尾氏の言葉に確信を持っている。

私も、色々な芸術家やそういった方面の立派な方々にお会いすると、同じ様な話を何回か聞いた。逆に、仲間同士の芸術論に巻き込まれて、芸術とはいかなるものかといった話も聞かされた事もあるが、そのような時に、何かもっとシンプルなものではないか等、抵抗感を覚える事もある。

本当に腕の良い料理人の仕事を見ていても、指が作ってしまうというのは本当の様だ。前から見て、横から見て、頭で考え、あれこれ盛り直しているのは、私等から見ても、まだ青く見える。最近、各店から、新しい料理の開発について、よく相談されるが、「もう、種が尽きたよ」等とは言っているが、やはり、何かないかなと考えてしまう。それが、ある時、全く関係ない事を考えている時にひょっこり浮かんで来るのである。気をつけていないとすぐ忘れてしまうくらいである。こうして湧いた料理は、息長く残るものが多い。

でも、皆に聞かれる。「なぜ、胡麻豆腐をシェリーグラスに流し込むのか。それに、その上にダシを張れば良いのに、なぜゼラチンで固めるのか」「なぜ、フライには千切りキャベツが合うのに、四角いキャベツを重ねるのか」「なぜ、生で美味しいグレープをわざわざ焼くんですか」。いろいろ聞かれるが、私の弁解は後から付けたものである。実のところ、そういう映像が浮かんできただけである。それ以外の理由は何もないのである。

誰でもこういう経験は沢山ありますよねえ。でも、瞬間の事だから、気を付けて、さっと頭に焼きつけておかないと、もう思い出せない。ぼぅーっとしていて、後から、そうだと思っても絶対思い出せない。こういうのを「インスピレーション」と言うのだろうか、不思議な世界である。
人には頭以上の何かがある。

「頭でなくて指が創ってしまう」――この言葉、何となくわかる世界ですよね。


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