店主敬白・其ノ拾七





今年も、全国津々浦々で花火大会がありましたね。土曜や日曜日の夜、関東平野が開いて見えるような場所に行くと、あちこちと数ヶ所位の花火大会が遠望できる程でしたから、本当に盛んですね。私も今年の夏は、東京の神宮外苑の中にある知人のマンションで見させてもらいました。外苑の中にマンションがあったのかと思った程会場に近く、壮大な花火を満喫させてもらいました。

四年程前、知人の案内で琵琶湖大津の花火大会を比叡山の山の上から見させてもらった。まさに見下す花火で、花火が眼下で炸裂するというかわった景色で、これもなかなか綺麗なものであった。残念なのは、花火の煙がたまってくると見えにくくなる事である。最終の頃になると音だけとなってしまった。来年は下で見る花火に招待してあげると言われ、翌年も琵琶湖へ出かけて行った。
一年前から予約しておいたそうだが、それは良い場所であった。琵琶湖畔のホテルの前にかなり大きな桟橋があり、その一番先にテーブルを置いて、なんと花火のディナーショーであった。当日、三十五度以上もあった気温も、ここではなんとも言えない涼風が渡ってきて、気持ち良い事この上なく、生ビールがひときわおいしかった。
少し暗くなりだすとディナータイムである。ウエイターサービスによる食事、そして花火、なんと贅沢な事であろうと思った。私もこの日の為に色々と花火の勉強をした。やはり、下知識があると、より一層花火が楽しめると思ったからです。以下、私の豆知識です。

当り前の事ですが、花火の歴史は火薬の歴史でもあるんですね。発明したのはやはり中国でした。それも紀元前の昔。硝石、硫黄、木炭を混ぜると爆発燃焼すると解って、黒色火薬が出来たそうで、これが兵器となり花火になった。そして、十三世紀にシルクロードを通ってローマに伝わった。だから、花火の先進国はイタリアだったんですね。今でも、アメリカで活躍している花火関係者はイタリア系の人が多いそうです。
日本人に初めて花火を伝えたのは、戦国時代末期、ポルトガル人やイギリス人だそうです。この頃、日本は世界一の鉄砲持ちだったのですが、徳川幕府が出来て世の中が平和になると、鉄砲術師達は花火開発へと走ったとの事です。日本の花火が世界一流となった所以ですね。
日本の花火が、世界で抜きん出ていたのは、花火が丸かったからだそうです。花火は丸いと思っていた私にはちょっと驚きですが、外国では、円筒形が基本だった様です。花火が丸いと真ん丸く大きく広がる。そして、二重・三重の同心円が描けるという利点がある。さらに日本の花火は、一つ一つの光を出す星が変色するが、外国にはなかった様です。
外国の花火は連発をプログラムして楽しむが、日本では、昔は「花火のように」というようにパッと咲いて、パッと消える一発一発を観賞した。今の花火は日本と外国の良さを組み合わせて、大玉を取り混ぜ、スターマインという連発も楽しむというのが人気だという事等々がわかりました。

さて、琵琶湖の花火ですが、近さもあり、迫力があり、打ち上げ数も多くて、それはそれは楽しめました。とりわけ私のお気に入りは、かむろ菊と呼ばれる種類の花火で、すぐ火が消えず、花弁が長く垂れ下がるもので、日本に昔からある和花火です。色は金、銀、錦等色々ですが、なんと言っても金が良い。大きいが、派手すぎず、夜空にマッチした橙色が、和風をかもしだして、情緒があり、深味を感じる。一度、金と言われる、橙色だけの花火大会を見てみたいものです。昔の花火も情緒があって、結構良かったのではないかと、想像してしまいます。昔は一夜に七十発位しか上げなかったので、花火の合間が長く、盃をさしつさされつ花火の名残りを打ち上げの都度楽しんだ様です。

こんな謡が残っています。
 
 上がる龍勢 星下り
    玉屋がとりもつ 縁かいな

古き日本の良さを感じますね。


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