店主敬白・其ノ拾八






私は料理がいろいろ取り揃えてあるそば屋が好きで、よく行く店がある。枝豆とか、お浸し、そして刺身、焼物、季節物等をたのんで、生ビールから始めて、酒をちびちびと飲む。そして、更科(白)そばを「ずいーっ」と食べて終わる。なにか、酒飲みの食事の原型のように感じて、月に一度か二度その店に行く。

先日も知人と会って、「そばでも食べようか」「いいよ」という事で、その店の方へ歩いていたら、その知人が「あの店へ行くの? あそこはおいしいけれど、この前も同じ店だったから、他にいかない? 本当のところ、今日はそばというよりも焼肉という気分だな」と言われた。その辺の焼肉屋で、一軒知っている店があったから行ってみると定休日であった。ちょっと歩いて探そうという事になって、二軒ほど見つけたが、二人とも、いまいち入る気がしなかった。

やはり、そば屋しかないかなと言っていたら、もう一軒焼肉らしい店があった。外に出してあるメニューを見るとやはり焼肉屋であった。ここでいいかと迷わず入ってしまった。生ビールを注文して、メニューを開いたら「お知らせ」として、牛舌が異常に値上がりしていますので、当店も五百円値上げしましたと書いてあった。

「そのうち牛舌が食べられなくなるかも」と言って、まず牛舌をオーダーした。あとはだいたい、お決まりのものをオーダーした。そして、その牛舌を食べた時、二人で思わず「旨い!」とうなってしまった。私は焼肉屋の事はよく知らないが、牛舌をここまでおいしくするには、熟成の管理や、叩きがよほど上手でなければできないのではないか。

カルビが出てきた。肉もほどほどに良いが、切り具合がなんとも良い。薄すぎず、厚すぎず。それにタレもおいしい。知人が豆腐チゲをたのんで「これはおいしい。半分食べてみな」というので食べてみたが、あとをひくほどおいしくて、二人とも最後の一滴までスープをすくって飲んでしまった。とにかく「良い店を知ったね」という事で、また行こうという事になった。

翌日も、まだ興奮さめやらずで、社内でその店の話をしていたら「あの店を知らなかったの。昔は、日本一おいしいと評判で、いつも行列ができていた店だ」と教えられた。「そう言えば最近はあの店の話題をきかないけど、味は落ちてないんだ」とも言われた。私も十数年前そんなうわさを聞いた事があったが、店の名前までは知らなかった。

それにしても、今でも行列ができて当り前位の味であり、値段も手頃なのに、なぜかひまだった。どうしてかなと考えてしまう。レストラン業の難しさのゆえんかもしれない。

例えば、マスコミに次々ととりあげられると、店は大繁盛するが、地元客は逃げてしまう。マスコミはビジュアル重視だから、次々と新しい店へ目が移る。特に過去に取材された店は敬遠する。あるいは、店の主人が、味に自信を持ちすぎ、がんこであったりすると、客に見放される事もある。それに店の若返りも時々しなければならない。流行の取り入れもタイムリーに行わなければならない。十数年もすれば、お客さんもどんどん若くなっていく。そのニーズに適確に応えていかなければならない。等々と考えていると、どうも自分の店の反省をしてしまう。

お客様が必要としているものは何か。そして、お客様が期待しているものは何か。この二つの要素をちゃんと分けて、どちらにもそれぞれ答えを出せるか。つまり、おいしさの維持や改善、そして、話題になる商品やサービスの提供等であるが、それが私にとっての大きな課題である。時々、自分に問いかけるが、良く迷う。

ちょっと話がそれるが、先日、私共のある料理長に盛り付けが少し古いのではないかと言ったら、どう古いのかと聞かれたので、スペインの有名レストラン「エルブリ」の料理の写真集を見せて「洋食でも、ここまで盛付けが進歩しているのだよ」と言って、それから、二十年程前に出版された私が大変尊敬していた料理人の料理写真集を出して開いてみせた。彼は「ずいぶん古い仕事ですね」と言う。私は「この本が出た当時は、一番斬新な盛付けとされていたのに、今はすごいスピードで進歩している」と注意した。さらに「私は実用の美を最も大切にしている。食べづらいものを飾りとして飾る時は、ワンポイントだけのアクセントにして欲しい。不必要な物は取り除く」とも要望した。最近は、和食でも洋食でも盛付けは、皆競って研究していて、どんどんおしゃれになっている。毎日が、気の抜けない進歩の時代である。


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