店主敬白・其ノ拾壱


先日、私共の料理長が、「まぐろ屋がめったに手に入らないまぐろが入ったという事で、見本として持ってきたので試食しますか」と言ってきた。その時、ちょうど外出するところだったので、パック詰めにしてもらって、家に帰ってから試食することにした。帰宅して、パックを開けてみると、さく取りしたまぐろが、二さく入っていた。見た目には、生の上物のまぐろで、中トロの部位である。

それを刺身にして食べてみた。そして、腰を抜かす程、おどろいた。旨いのである。私は今迄、ここまで美味しいまぐろは食べた事がない。超一流品と言われているまぐろでも足元に及ばない。そして、何より不思議な事は、見た目には超一流品というまぐろよりは、少し下に見えるのである。ただ、触った感触は水っぽさがまるでなく、トロリとした、やはり一流品独特の手触りである。その夜は、まさに驚きの夜であった。そのまぐろを見つめて、見た目にはたいした事がないのに、何故、こんなに美味しいのかと自問自答するのだがさっぱりわからない。そして、ひとさくを一人で食べてしまったが、生ものでありながら、あきが来ない。

翌日、料理長が来て、「まぐろはどうでした」と聞いてきたので「いゃあ、びっくりしたよ。美味しすぎるよ」と言ったら、彼も「そうでしょう。私もあんなの、初めてですよ。だから、どうしても試食してもらいたかった」と言う。私は見た目には普通なのに、何故あんなに美味しいのだろうかと聞くと、「分かりません。産地とかブランド物とかの常識を飛び越えていますよね」と言う。やはり、まぐろ屋の目利きの良さかと聞いたら、彼は、この前も同じ事を言ってきた事があったけど、その時は見たとおりの味だったから、目利きだけでそこまで分かるか疑問だと言う。とにかく自然の中で育んだ魚である。一匹一匹の個体は違う。今回は、何千匹の一匹か、何万匹の一匹か、あるいは何百万匹の一匹に当たったという事になる。誠に運が良かったという事になる。それだけに、また同じ様なまぐろにまた出会う事は、全くないだろう。自然の奥の深さを感じたものである。

自然が育てる事の逆に人が長いこと養殖してきたのが家畜類である。そして、長いこと品種の改良をしてきた。以前は、松阪牛とか神戸牛が有名であったが、今では、日本全国で優秀な黒毛牛が作られている。これも、関係者の努力の賜物であろう。

私は若い頃、ある畜産卸会社の社長にかわいがられてよく芝浦の畜肉市場で勉強をさせてもらった。市場では、枝肉といって、牛を真っ二つに切って売買される。前足のつけ根のところに大きく包丁がしてあって、肉質はだいたいそこでみる。肉の脂を霜(しも)というが、小さい霜が、均一に分散されているものが良いが、それだけのものではない。前部分に脂がのっていても、後にないものもある。

私は上物しか興味がなかったから、その社長も徹底して上物の見極め方を教えてくれた。そして、最後は、小さなナイフを取り出して牛の開いた脇のところから、わずかな肉片をとって私に噛んでみろと言う。甘味を感じたかと聞く。私がわからないと言うと、慣れだからと言って、いつも、これぞという牛の肉を噛ませる。

次第に彼の言う甘味がわかってくると、今度は、甘味の度合を覚えろと言う。目で見た感じと甘味の関係も注意して感じろと言う。ただ、彼は、その肉を必ず吐き出させる。生肉は食べてはだめだよと言うのである。なぜか聞いても答えはくれない。とにかく良い勉強をさせてもらった。しかし、我々が実際に肉を買う時は、ロースとかヒレの部位で買うから、そこまでの知識を必要とはしないのであるが、やはり、目利きの精度は上がった様である。

それが、ある時、変な所でとても役に立った。神奈川県の三崎市場でまぐろを買い付ける様になった時である。三崎のまぐろは当時、オーストラリアのタスマン海方面から捕って来るもので、ほとんどが超低温で冷凍されていて、市場に出されても雪だるまのように真っ白である。尾のわずかな部分が切り取られ、それがバケツの水で融かされていて、紐でまぐろと結ばれている。買手は、その融けている尾の切り口を見て、そのまぐろの質を見極めるのだが、私的に言うと牛と同じなのである。尾に脂があっても、胴体にないものもある。それがなんとなくわかってしまうのである。一日に何回かセリがあるのだが、これが今日一番だと思って、市場の仲買人に言うと彼もそう思うと言う。だけど、素人がどうしてわかるのかと良く聞かれた。牛で覚えたとは言えないから、魚を良く見ているからね等と答えるが、全く信じていない。ただ毎回彼の見立てと合致するので、不思議がられた。

我々の世界では、出来るだけ良いものを見ておけと言われているが、食材の見立ての勉強が、食器選びにも生きているとか、色々と役にたっているのではないだろうか。今回のまぐろに出会ったことは、まだ、私の知らない食材があると言う事で良い勉強になった。本物であったが、これこそ幻のまぐろであった。


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