店主敬白・其ノ拾弐


料理人に味を伝える事は、私にとって、すごく難しい時がある。新しい料理を開発している時などは、研究会のようなものだから、互いに心の準備があるから、少し塩っ気が多いとか、もう少し濃く等、私も言いやすいし、相手もやってみるという気があるから、微細な調整も直ぐ出来る。

ところが、いつも作っている料理に対して、味を調整したいと思った時が問題である。料理人の方ではこれが良いと思って客に提供しているわけだが、私的にもう少しこうしたいと思った時に苦労する訳である。

特に、ほとんどいい味なのに、ほんの少し変えたい場合、相手が、過剰反応してしまうケースが多いのである。そうなると元の良い味まで崩してしまう事があり、味を言葉で言うことは、本当に難しい。

だから、「ほんの気持」と言うのが、私の口癖になってしまった。「ほんの気持、甘味を抑えて」「ほんの気持、下味を強くして」「ほんの気持、醤油味を出して、一滴、二滴だよ」等々、気を使ってしまうのである。

言われた料理人の方も、ほんの気持位で注意されたくないと思っているだろうけど、そうした調整を積み重ねないと、味の会話はできない。我々は、味のハカリを持っていないし、また、最終的な味は器具で計るものでもないと思うからしかたがない。

私は常々、料理長達には、「本当に良い料理人は、自分の味を持ってはだめだよ」と言う。たいてい「どうして」と聞いてくる。

「君達は物凄い修業をして料理長になった。だから、両手いっぱいの技と味を持っている。それなのに、自分の味を持ったら親指と人差し指の間位の狭い仕事しか出来なくなるじゃない。大工に例えれば、どんな優秀な設計士の図面でも、意向でも、それに答えられるのが良い大工なのだよ。趣味で、自分の為に自分好みのものを造っても、仕事では、どんな仕事でもこなせるのが優秀な大工だよ。料理人でも同じで、どういう店に行っても良い仕事が出来るのが優秀で、自分の味を持ったら自分の店をやるしかないし、技術の進歩もなくなるよ。私だって、レストランと割烹で味を見る時は、全く、違う舌を用意しているよ」という様な説明をする。

この事はすごく大切な事で、料理人が自分の味を持ってしまうと、我々からすれば、全く使えなくなってしまう。我々には、常に新しい料理への挑戦は必要だし、店々によって、味のアクセントは変えていきたい。

今、日本料理の世界は、壁にぶつかって抜け出せないでいると言われている。日本料理は、あまりに手間がかかり、人件費の効率が良くない。作り置きが出来ない。新鮮が身上なので、材料費が高い等々の理由である。以前から、同じ問題があったのだが、今はこのような、隠れたコストを評価してもらえない時代である。素晴らしい伝統をもった日本料理が、まさにさまよっているのである。

レストラン業界では、このような問題を解決する為に、手間のかからない日本料理、プロを必要としない日本料理、一流の食材を使わなくて良い日本料理という事で創作和食等を生み出している。時代が要求している事を一気に答えている。素晴らしい事であるが、これが歴史ある日本料理かと言えば、全く違うジャンルであるから、答えはノーである。

日本料理は、どういうわけか、割烹という限られた場所で発達した為、家庭料理の延長線上とはまるで違うプロセスで発達した料理で、プロだけの世界にあるから、ほとんどの人達が、それがどのような手間によって作られているかを見ていないのである。出来上がった完成品だけを見ているから、何かさっと出来てしまうように思われている。そのギャップを埋めない限り、日本料理の隠れたコストが理解される事はないだろう。私もこの問題に頭を痛めている一人であるが、自分もこの壁を取り除きたいと、今、心に期している。

ずうっと昔、日本料理が割烹から出られず、やはり一つの壁に突き当たっていた時、私も日本料理から一品料理を育て、レストランにデビューさせた。
そんな行きがかり上、自分に何か出来る事があるのではないかと、色々頭をめぐらせている。その輪郭が、何となく浮かんできた。

手間を省くのではなく、手間が見える料理、それを考え一つ二つの料理も浮かんできた。これから長い道のりだろうが、一つずつの積み重ねと思い、やっていきたい。


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