店主敬白・其ノ拾参


私がよそで食事をする時、味付けが悪かったり、調理技術が劣っていたりしても、ほとんど気にしない。そういう料理でも、少し良いところがあると、「なかなか頑張っているな」と思ったりしてしまう。人にも、「自分の関係している店では、うるさい事を言うのに、よくこんなもの食べるな」等と言われてしまうのだが、私自身、本当に気にしていないのである。よそで食事をする時は、料理の批判という事を私の神経がシャットアウトしているのである。これは私の経験で、何かその料理に批判的な事を感じてしまうと、その料理から、良い物を感じなくなってしまうからである。私はいつも、よそでは、何か吸収したい、何か学びたいと、乾いたスポンジが水を探している様な気持ちでいるのだが、ちょっとでもその料理を批判してしまうと、良い所が全く見えてこなくなってしまうのである。だから、これはいい、これはいいと自分に言い聞かせていると、ひょいとアイディアが広がったりする。

実際、ラーメン屋とか、ファミリーレストラン等は流行に敏感で、人々の食の方向が見えてきたりする。居酒屋で、とてもまずくても、変わっている仕事を見つけると、これを応用できないかなと考えてしまう事もある。そんな風に料理を食べていて思うのは、料理は、気持ち次第で結構おいしく食べられるのではないかと言う事である。食べる時の「気分」の事である。つまり、料理を作る側でなく、食べる側から見ると、本当の上手な食べ方は、この「気分」のモチベーションを良くする事で、同じ料理でも、更においしく食べられるはずである。

世界中の人は、ピクニックが大好きであるが、日本人も江戸時代から大好きだ。花見だ、紅葉狩りだ、まだまだ理由をつけて、つくし狩りだとか、中にはさくら草狩りだ等と、色々行事を作ってピクニックに行く。そして、ピクニックの最大のハイライトは、花よりだんごの言葉通り、弁当である。昔は、一家の女性をあげて、弁当をこしらえ、それを持ち寄り、交換して楽しむ。考えただけでもおいしいですね。弁当は作っている時も楽しいし、詰めるのも楽しい。持ち運ぶのも楽しい。開けるのも楽しい。もちろん食べて楽しいし、おいしい。

ところが、我々、料理を商売にしている者から見ると、弁当程まずい物はない。温かければやわらかい物も、冷めきって固くなっているし、冷した方が美味しい物も、なま温かくなっている。汁がはみ出して、隣の料理にしみていたり。もし、店でそれをお出ししたら、どれだけお客様に怒られる事か。ぞっとする様な内容なのである。それがおいしい。すごくおいしい。不思議である。つまり、「気分」が楽しいからおいしいのだけれど、その差の大きさはびっくりする程だ。店で出せば、必ず怒られる料理が、めちゃくちゃおいしいのだから。

今はそれ程ではないが、昔は駅弁が好きと言う人が多かった。駅弁も、旅に出るという、楽しい気分の中で食べるからおいしいのであって、もし、駅で駅弁を買って、会社ででも食べたら、温めなおしでもしない限り、固いご飯に冷めた焼物、揚げ物等、たいしたものではない。つまり、それ程に、楽しい気分は料理をおいしくするものなのだ。だから、“本当においしい料理”を楽しい気分で食べられたら、それは一生の思い出の一場面になること間違いないのである。

私も長い事、食べ物屋をやっていて、食べるプロという方に時々お会いする。
もちろん、この様な方は大変なグルメだ。とことんおいしい物を知っているし、料理人の腕の見所も良く知っているが、その様な事は、こちらが話をそういった方向に向けない限り、一切口にしない。先ずは、我々店の従業員にも礼儀正しく、冗談を言ったり、褒めてみたり、連れのお客さんにも紹介して、楽しい雰囲気を作ってしまう。そうなると、店の従業員も、何かもっとしてあげたいという気分になるし、料理がおいしくなる素地がすっかり出来てしまう。

そんな中で食事をするのだから、連れの方も、本人も、すっかり満足してしまう。また、店の従業員もそのお客様が大好きになってしまう。次にその方が店に来ると、従業員の心が浮き立つのが、私にもビシビシと伝わってくる。見ていて楽しい光景である。思わずプロだなあと感心してしまう。

しかし、我々商売人は、こういうお客様に甘えてはいられない。我々は料理も売るが、楽しさも売らなければいけない。度々、従業員にそれを言うのだが、それが伝わらない。彼等はどうしても、一般的に良いと言われている、丁寧でスマートなサービスに頂点を置いてしまう。もちろん、それはとても大切なのだが、楽しさも売らなければならない。私は、昔、店に立っている時は、お祭屋と言われていたが、私を含めて、従業員も楽しくなければ、お客様も楽しくないという信念を持っていた。それを伝授した社員もずいぶんいたが、最近、それがうまく伝えられない。従業員との歳の差もあるのだろう。

「楽しいって何か」。今一度それを勉強したい。



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