店主敬白・其ノ拾伍



アサヒ蟹を初めて知ったのは確か小学校三年生の頃だった。この年の夏、江ノ島の片瀬海岸の網元の家で私達一家はひと夏を過ごした。この網元の家には私と同年ぐらいの子供がいて、よく海で一緒に遊んだものだ。早朝、海岸へ行き、貝ひろいなどして遊んだ。ほとんどがシッタカという貝で、茹でておやつにしてもらった。時には地引き網もしたが、この際に見たのがアサヒ蟹だったのである。大人の手のこぶしほどの大きさだったように思う。網元の家におばあちゃんもいて、このおばあちゃんの言うことには、「このアサヒ蟹は小さいね。大きいと美味しいんだよ。この大きさだと味噌汁用だね」と説明してくれた。地引き網をしていて驚いたのは大きなヤドカリが獲れることだ。これもおばあちゃんが茹でておやつにしてくれた。子供たちで取り合った思い出があるので、きっと美味しかったのだろう。

次にアサヒ蟹に出合ったのは、ずっと後のことで、もうこの仕事を始めてからの事だった。仕事で鹿児島県の鹿屋へ出かけた際に入った寿司屋で、水槽に珍しい大型のエビを目にした。寿司屋の主人は「セミエビです」「別名、足袋エビとも言います」と教えてくれた。なるほど、身体は伊勢エビのようだが、頭のところに、セミの羽を閉じたような触角があり、どことなくセミのように見えるし、見方によっては足袋の指先のところのようにも見える。珍しいので食べてみると、身がたっぷりあり、美味しかった。次に鹿屋へ出かける際もこの寿司屋に電話してセミエビを注文しておいたほどだ。さらにセミエビを買い付けたいと思い、鹿児島の魚市場へ行った。大きくて、色のみごとな尾長鯛を水揚げしているのが印象的であった。また、それは見事だという大きなアオリイカが、次々と水揚げされるのだが、その目が、人影を追うように動くのも、美しい錦江湾に面した市場ならではのものではないだろうか。ここで、セミエビを探したら、セミエビは宮崎県の方で獲れるもので、鹿児島には入らないとのことだった。「その代わりもっと美味しい蟹があるよ」と紹介されたのがアサヒ蟹だったのである。重さは一キロほどもあり、茹でる前から赤くて、丸っぽく、朝日のように見える蟹である。茹でると、さらに鮮やかな赤になり、名前の由来通りである。この蟹は本州で味わったどの蟹とも違った。味はあっさり味であるが、美味しく、身はプリプリしていて、歯ごたえが良い。いわゆるミソの部分は少ないが、他の蟹よりコクがある。「う〜ん、美味い!」というのが正直な感想である。この蟹をぜひとも私共のお客様にお出ししたいと、鹿児島から定期的に送ってもらう事にした。評判も上々であったが、そのうち、段々と値が上がって来て、とうとう、手の出ない価格になってしまった。そこで鹿児島が駄目なら沖縄があるはずだと思い、沖縄へ行って魚市場をあさってみたが、蟹はあるのだが、価格は鹿児島と変わらなかった。しばらくアサヒ蟹の事は忘れよう……。そう思ったが、アサヒ蟹を食べたという話をする人がいて、その度に、無念さがつのってしまう。

私達は、珍しいものでも、多くのお客様に食べて頂きたいから、やはり適正価格の仕入れをしたい。こうして、仕入れを諦める事も多々ある。アサヒ蟹は妙な愛敬をもった蟹で、ずんぐりして、丸い甲羅に厚みがあり、蟹でありながら、横歩きの出来ない珍しい蟹である。前へ前へと前進する姿はかわいいものである。そんな未練をずーっと引きずっていたが、最近そのアサヒ蟹が、時々、ほど良い値段で入荷するようになった。どこから入荷されるのかと聞くとオーストラリアから活きたまま空輸されるという。唯、入荷が不定期であるので、扱いにくい商品であるが、またこの蟹に会えるのは本当に嬉しい事である。さらに、以前、鹿児島で仕入れしていた物より大きく、味も旨味が濃いから言う事なしである。

今や、日本で失いかけている珍味、美味が世界中から日本に集まっている。そして、日本人が珍味、美味としている食材、例えば、あんこうの肝、ナマコ、マグロのトロ、海苔、ウニ、山葵、等々を世界中のシェフ達が注目しているのも事実である。限りある資源、これからは、世界規模で考えていかなければならない時代がとうとうやって来てしまいました。


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