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一年とは早いもので、あっという間に正月がやって来る。数年前までは、暮れの佳き日をみつけて客を呼び、百キロ近くの糯米を搗いて正月に備えたものである。しかし、寄る年波には勝てずに止めてしまった。但し、正月用の餅は、新潟の米処安塚の棚田で収穫されるぶんずい餅という幻に近い品種の餅を確保している。この安塚の米は、世間でもてはやされている魚沼産のものと比べ、勝るとも劣らない。いやいや、僕のジャッジでは遥かに上を行ってると思う。ただ、日本人の陥りやすいブランド米ではないというだけだ。

この安塚というところ、魚沼から左程離れてはいない。最も近いところでは、車で二十分も走れば到達するだろう。いずれにしても、旨い米のとれる条件である水、夜と昼の気温差、稲の育成時の気候条件の全てが整っているのである。そして、品種もコシヒカリ。このコシヒカリ、海抜三百メートルを超えると、極端に味と収穫量が落ちるそうである。こうした米処の糯米の中で、地元の方々でさえ中々口にすることの出来ぬという、ぶんずい餅を、米作りの名人の山口さんという方が杵を振りかざして搗いて下さるのだから、その味は絶品である。

この餅を焼き、九州から送って貰う焼きアゴ(飛び魚の干物を焼いたもの)で出汁をとり、同じく福岡から送って貰うカツオ菜(芥子菜と高菜の特性を合わせたような野菜)、五島列島か富山の氷見ブリ、西伊豆の土肥の椎茸、小田原の蒲鉾という食材を合わせた雑煮を作り味わう。節料理は、黒豆を煮たものと、秋に作り置いた栗の渋皮煮、出汁巻き卵、ごまめ、数の子、大根と人参のナマス、人吉の落ち鮎の干物の甘露煮、後はがめ煮(筑前煮)くらいだろうか。加わるとすれば、昆布巻と合鴨の焼いたものと焼豚くらいだろうか。これ等を三段の重箱に詰め、屠蘇で祝ってから頂くのである。

Kubota Tamami

が、最近の元旦は女房殿と二人切りになる可能性が大である。寂しいくらい静かな正月になると思うが、それはそれでよい。二日の日になると二人の息子が伴侶を連れてやって来るし、年始の客も来るだろう。客の顔を見て、床下からワインを取り出したり、取って置きの日本酒(黒龍の石田屋か八十八号)も備えたし、焼酎も白石酒造のハナタレがあるし、月の中も村尾もある。

しかし、考えてみたらもう六十三歳になってしまったのだ。料理がいくらあっても、胃袋は間違いなく小さくなってしまっているし、アルコールも少し飲んだだけで天地が逆さまになってしまう。としたら、何の為に大御馳走を作り、酒も飲み切れない程に集めたのであろうか。と、いささか自虐的にもなってくる。だが、年を重ねて来たから、こうした贅沢が出来るのだし、許されるのではないかと思う。ただ、夫婦二人切りではどうにも消化は無理だから、なるべく多くの方々に声を掛けて、共に味わって頂こうと考えている。

それでも元旦だけは、なるべく静かに過ごしたいと願っている。除夜の鐘が聞こえたら、愛犬二頭を引き連れ戌年の初詣でを近くの神社で済ませて眠り、目が覚めたら普段と同じように犬の散歩をし、朝風呂に浸かって着物を着てみよう。夫婦二人で新年の挨拶を交わし、屠蘇を飲みお節と雑煮を食べ、ワインを飲んでテレビを観て、多分昼頃になったらいびきをかいて寝てしまうに相違ない。

何も心配の要らぬ、平和な寝正月がようやく出来そうである。



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