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博多湾の中央に、能古島(のこのしま)という周囲が約八キロばかりの小島がある。対岸の姪の浜からフェリーに乗って、十分くらいのものであろうか。この能古を、父は終の棲家として三十年前に他界した。父の没後、子供達を連れては別荘代わりに用いていたのだが、十年ばかり前の台風で屋外にあった風呂場がかなりのダメージを受け、以来泊まることはなくなってしまっていた。

しかし、最近になって東京の自宅が道路の拡張計画に引っかかり、移転を余儀なくされる破目となった。だったら、いっそのこと能古に行ってしまおうかと女房殿と決断した。今年の夏で丁度六十三歳、父が他界した年齢なのである。二十年前に仲間と共に設立した会社も人数が増え、経営を委ねるべく次世代の人材も育った。となれば、会社に固執することはないだろう。役員六十五歳定年制度を導入、いよいよ本格的に能古移住計画を実現すべく動き始めた。

能古島の人口は九百八十人位だそうで、三十年前に比べると三割減少している。博多の繁華街から移動すると四十分足らずの環境なのに、過疎化現象が起こっている。フェリーの最終が二十三時だから、そんなに不便なわけではない。ただ、最近の若い方は不夜城のような所に住みたがるし、コンビニ無しの生活には耐えられないようである。考えてみたら、能古にはコンビニは存在しない。酒屋が二件と雑貨屋らしきものが三軒ばかり、後は観光客相手の売店が数件あるのだが、午後五時にピタリと閉まる。

Kubota Tamami
そう、能古は大都会の目の前(直線距離にしたら四、五キロであろう)に在りながら、言わば半農半漁のひなびた場所なのである。それが、僕にとっては大の魅力なのである。ミカンやビワなどの果実はたわわに実るし、磯釣りも出来るし、何てったって潮干狩りで獲れるアサリが最高である。これは事実なのだが、博多界隈の魚屋さんでは能古のアサリは三割ほど高い。それでも、あっという間に売り切れてしまう。これからは、そのアサリが自分の手で獲れるのだ。バター炒めに貝汁、パスタのボンゴレにしてもよいし、多い場合には時雨煮という手もあるし、父直伝のクラムチャウダーも洒落ている。

クラムチャウダーを初めて食べたのは父の料理であったが、ニューヨークの友人の家を訪れた時、
「ダンさん、今日はここの名物クラムチャウダーを、是非召し上がって頂きたいんです」
と、僕のために料理して下さったのだが、残念ながらお世辞にも旨くない。そこで、意を決して作り方を伺ってみると、案の定アサリを茹でて身を取り出すのだが、その茹で汁を捨ててしまわれていた。

では、檀流の作り方というと、まずタマネギと細切りにしたベーコンを炒める。タマネギがしんなり飴色になったところに、適宜の大きさに刻んだアサリを加え火を通す。そこに、茹で汁を加えさらにホワイトソースを入れて味を見る。恐らくかなり濃厚な筈だから、牛乳と水、好みによって白ワインか酒で味を整え、塩コショウで最後の仕上げをする。トッピングによくクラッカーを散らすが、僕は刻みパセリだけの方が好き。

ともあれ、後一年少々で能古の住人となる訳だ。出来るだけ買い物は控え、晴耕雨読の精神で暮らして行かねばと考えている。対岸の博多の街の息吹を眺めながら自然と一体となる暮らしもよいだろう。もし誰かが訪ねて来てくれれば、特製のクラムチャウダーでおもてなしをするとしようか。



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