店主敬白・其ノ参拾壱








職人という人達が異常な程のこだわりをもつのは世界共通の事であろう。しかし日本の職人はどこか違う様に思えてならない。外国の職人のこだわりは合理的な面をしっかり持っているが、日本人の職人のこだわりというのは合理的という事を全く忘れているかの様である。私は楽器の事は良くわからないが、例えばヴァイオリン造りの職人であれば、ひたすら美しい音の追究を第一義とするだろうが、もし、ヴァイオリンが日本で発明された楽器だったとしたら、日本人の職人は美しい音の中に微妙なる濁音を入れてそれを良しとするような事を考えるのではないだろうか。

以前、箱根湯本に旅館を造った時、大広間は設計事務所に京都の大工の棟梁(とうりょう)を指名して造ってもらった。開業も近い頃、その仕事ぶりを見に行ったら大広間だけ工事が遅れているのである。設計士に聞いたら、十本ある桧(ひのき)の柱が立ち上がらないと言う。なぜと聞いたら、設計士が言うには、柱に成形されても木材は生きものだから組合せが悪いとひずみが出てしまう。金物や釘を使わない組立式だから将来の歪みを見立てなければならないし、柱の表面の相というか面(つら)も組合せによって良し悪しがあると言う。棟梁は部下の大工達に柱を入れ替えさせたり、回させたりして色々考えている風であった。次の週にまた見に行ったら、まだ決まらない、待つよりしかたないと言う。どこをどうしたいのかなと設計士に聞いてみても、彼にも全くわからない世界の様だった。

日本の職人の世界というのはある意味で変質的というか、変態的というか、そのようなところがあるが、そこが島国・日本の味とも言える良さだと思う。

料理人の世界にもこだわりが多々あるが、私にも理解できるこだわりの一つに和包丁がある。私も商売柄、自宅にも和包丁を何本かそろえてある。もちろん洋包丁(牛刀ともいう)もおいてあるが、出刃、小出刃、切り出し、薄刃、柳刃等の和包丁である。プロになると本焼きとか、好みによってたこ引等の刺身包丁やふぐ引き、鱧切り包丁等、用途別にも何本かそろえる。

和包丁は、菜切り包丁以外はだいたいが片刃である。洋刀は、だいたい両刃である。そして、和包丁の主流は、「合わせ」といって包丁の本体は軟鉄で作り、刃の部分だけにはがねをつけたものである。洋刀は全体がはがねである。和包丁でも本焼きと言われるものはやはり全体がはがねである。合わせの包丁は「かすみ」とも呼ばれるが、これははがねの包丁が鏡のように光沢があるのに対して、軟鉄は霞(かすみ)のようにぼんやりした光沢から言われる。合わせの良さは、硬くてもろいはがねを粘りのある軟鉄が補強しているので刃こぼれがしない柔軟さがある。洋包丁は八百度位の加熱で製造されるが、和包丁は、砥粉や、やき土を塗って七百八十度位の加熱をする。そして、水で急激に冷やして硬く締める。これを焼入れと言う。それをまた、百五十〜二百度位に焼もどして刃に粘り強さを出す。洋刀の場合は油に入れて焼入れをするが、水で冷やすよりややゆっくり冷えるので硬度に粘りが出る。そして、油で焼きもどす。和包丁のはがねは、砂鉄を原料とした和はがねであるが、現在は安来鋼(やすきはがね)が主流だそうだ。

私も暇な時はよく包丁を研ぐ。和包丁はほんとうにすぐ刃がなくなる。現在、保健所の指導でプラスチック俎板(まないた)の使用を義務づけられているが料理人はすごく嫌がる。木の俎板でさえすぐ刃がなくなるのに硬いプラスチックでは本当にもたない。砥石は荒砥(あらと)、中砥(なかと)、仕上げ砥とあるが、荒砥は、形をととのえたりし、中砥で研ぐ。仕上げ砥はほとんどつるつるの砥石だが、これによって最高の切れ味の刃が付く。

包丁を研ぐと刃の先端にかえりが出る。これを指でふれて研ぎ具合をみるのだが、和包丁はさらさら感があるが洋包丁はごつごつ感がある。それだけでも両者の違いがあるが、研いだ和包丁で、野菜等を試し切りしてみると、和包丁の場合、引いただけで自重ですっぱり切れてしまう。洋包丁の場合は引くだけでなく、多少押し付けなければすぱっとはいかない。この和包丁の切れ味がなんともいえなく良いのである。

刺身の場合五センチ引いて一センチ弱切り下げるが、このように引くと細胞膜はすぱっと切れているが、洋包丁の場合、押し切りをしているから細胞膜はつぶされて切れているので切口の光沢が違う等と言うが、それよりも何よりも、自重でスーッと切れていく感じが何とも良いのである。理屈から言えば洋包丁であれ、切れれば何でもよいし、刃持ちが良ければ研ぐ回数も減るのだが、切れ味の良さの魅力は格別である。私もそうであるが、和食職人は和包丁を切れ味の快感のためゆえに決して手離せない。


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