店主敬白・其ノ弐拾壱







前号からの続きです。
ある時、各店の幹部が揃って「今後、食器やグラスの仕入は自分達に任せてくれ」と言ってきた。その理由は、私が仕入れるものは、商売用には高すぎるというのである。私も当然だと思い快諾した。どうしてこうなったかと言うと理由がある。

壊れにくい器を求めて、四国・愛媛県の砥部焼のある窯を訪ねた。食器は得意でないと言うので、デザインは全て私がやった。全く使う立場だけのデザインであったが、それが妙に美しかった。発注する度に、デザインも実用面で気がついたところを考えて改良した。私共だけのオリジナルの食器である。私もお客様によく自慢して、「この持った感じがいいでしょう」「唇の当りがなんとも言えないでしょう」「料理を盛ると、この深さが生きてくるのです」等々と言ったものだ。この頃、これらの器を見ているだけでとても幸せだった。

それから一〜二年して、その窯の人から電話があって、高島屋デパートの特選売場で私共の食器を展示したいのだけど、許可してもらえるかと聞いてきた。私は、私がデザインした等とこだわる方でないから、どうぞ出して下さいと答えた。そして、それからしばらくしたら、私共の食器がどこのデパートでも見られるようになった。

また、私がデザインしていない、たぶんその窯自身のデザインの物も増えてきた。お客様からも、この食器、デパートで見たよと言われるようになって、私がデザインしましたとも言えなくなってしまった。しかし、壊れにくい、また使い勝手の良い、美しい器であった。
その頃、私の友人が陶芸家で有名な滝田項一さんを紹介してくれた。滝田氏は、独特の白磁を作られる方で、また、使い手重視の思想をもった方で、私がデザインした器を説明したら、とても良くわかっていた。滝田さんは私以上に使い手の気持ちがわかっていて、私にはさらに勉強になった。本当に私とは話が合った。

なかでも、滝田氏が「食器は絵画で言えば、キャンバスです。料理は絵なんです」と言われた時は、まさに目からウロコがとれた。と言うのも、私は常々、料理を盛り付ける時、絵柄がうるさいと感じていたからである。砥部の器も、皿の真中には絵柄を入れなかった。それも後半になると、絵柄をやめて、朱と呉須の線だけにして、真中にワンポイントの柄だけを入れる様にしていた。それでも器には柄があるものという呪縛からは逃れられないでいた。

それが、「料理が器の絵柄です」と言われて、まさに目が覚めた。この言葉は私にはとても重要だった。料理が絵柄という事は、本当に料理が主となり、自由自在の世界が広がると感じた。
当時、ちょうど新しい店をオープンさせる時だったから、滝田氏に全く絵柄のない白磁だけの器で全ての食器を揃えたい、それを先生やって下さいと頼んだ。全く白地だけの器など当時はどこにもなかった。が、滝田氏は、それでは器の形が勝負ですね。やってみましょうと言う事になった。

ところが、もうかなり進んでいる頃になって、滝田氏から電話が入った。滝田氏は「全く柄がないというのはどうも心もとない。すり鉢のまわりに塗る塗料があるので、器のふちにぐるりとそれを塗ると良い感じになる。また、強度の強い塗料だから、割れにくい。デザインとしてはその方が良い」と言ってきた。私はそれを聞いて「滝田先生、どうか自信を持って下さい。先生の器の形はとても美しい。それに私達が料理でしっかり絵付けをしますから」と一生懸命なだめた。

そして、器が全て出来上がった。本当に何でもない様な白磁の器であるが、料理を盛り付けると、器がもりもりと形を現して、とても美しい器になっていくのがよく感じられた。私達、食べ物屋にとっての究極の器と言っても過言ではないだろう。

その後、私共で使う器は増えていった。滝田氏の陶芸家の工房では、どうしても数量的に負担になってきていたし、値段もやむをえず上がってきた。もう、レストランでは使えない値段になってきて、次は京都で白磁の器を作る様になった。

この様な事があって、私の仕入れる器はいつの間にか高いものになってしまった。食器の消耗の負担を軽くしようと始まった食器探しが、いつの間にかマイデザインになったり、作家物になったりで、高い高い物になっていたのである。

最近のレストランでは白地の器がどういう訳かモテモテで、市場にもたくさん出回っている。当時を思うと、思わず苦笑してしまう。ところで、同じ話がガラス器でもあったのです。それはまたの機会に話します。


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