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我が家では、桜が終わり爽やかな新緑の季節になると、植木屋さんがやって来て十メートルはあろうかという高さのポールを立ち上げて呉れる。勿論、鯉のぼりを飾る為である。檜の丸太二本を地中深く埋め込み、その二本の丸太で背の高い丸太を挟んで、ボルトでしっかりと固定していた。

鯉のぼりを上げるポールの天辺には丸い形をした金色の風車を乗せ、その下に滑車を付けてロープを張り三メートルほどの吹き流しをぶら下げ、その下に真鯉と緋鯉を括り付けるのだ。青空の許で、風があると風車はキラキラと光ながら勢いよく廻り、二尾の鯉も風を孕んで悠然と泳ぎ、その様は子供ながらにも爽快感を覚えたものである。

この鯉のぼりの他にも竹竿を三本立て、それぞれの竿に『檀太郎』『檀次郎』『檀小弥太』と兄弟三人の名前を紺地に白で大きく染め抜いたものを飾ったのである。そう、両国の国技館の前に力士の幟旗が翻るような感じであった。

しかし、この幟旗は遊びに来た友人達に「何これ」と質問され、いささか気恥ずかしく思ったものだ。
おそらく九州の習慣なのだろうが、東京でこんなことをしている家は皆無だったから尚更のことである。
檀家の端午の節句の名物といえば、肉粽である。竹の皮に、糯米を包んで蒸し上げたものだが、米の中心にちょうどお握りの具のような感じで、具材を挿入し熱を加えるのである。作り方は醤油に酒、五香粉、ニンニク、ショウガ等を加え味を整えたタレを作り、その中に豚肉、椎茸、銀杏、栗、ウズラの卵などを浸して味を染み込ませ、生の糯米に抱かせるのだ。味付けとか蒸す作業は簡単なのだが、米と具を均等に竹の皮に包むのがちと厄介。慣れてしまえば何のことはないけれど、集中力の欠けている僕には大変な仕事であったが、後でおいしく食べることを考えると、必死にならざるを得なかった。

Kubota Tamami

全ての作業を終え、蒸し上げた粽が大きなザルの上に盛られ、テーブルに乗る。満足そうな父は、粽の味を確かめると、
「今日の粽は中々よく出来ていますね。粽の起源は、紀元前三百年の頃、楚の国の政治家で詩人であった屈原が謀で追放され、洞庭湖の上流の汨羅へ身を投げ自殺しました。その屈原の死を悼んで姉さんや村人達が、湖に粽を投げ入れたのが、五月五日の今日です。それ以来、中国では端午の節句になると粽を作って食べるようになり、その習わしが日本にも伝わったのですよ。岳陽楼に登り、洞庭湖を見渡すと素晴らしいですよ。あなた達も、一度岳陽楼を訪ね、杜甫の詩や屈原の詩を吟じてみたらいかがですか」と、有り難い話をしてくれた。

が、粽は毎年のように食べ、中国にも何回も訪れてはいるが、未だに汨羅にも岳陽楼にも行ってはいないのが現実だ。という次第で、近々に洞庭湖を訪ねてみようと真剣に考えている。家に伝わった粽と、現地で食べている粽を比べるだけでも、この旅は有意義であると思う。

実際に、日本の各地には、様々な形式の粽がある。笹の葉に包んだもの、アシとかヨシの葉(蘆と葦は同じものらしい。アシという言い方は悪しに通ずるので、ヨシと呼んだとか……)に、糯米や上新粉を包んだもの、鹿児島や沖縄には糯米を竹皮に包み灰汁で煮たものもある。いずれも、味は殆どついていないから、食べる際にきな粉や砂糖醤油に浸して味わう、素朴なものである。が、昔はこんなものが、お菓子というか、おやつに用いられていたのだろう。
柏餅も、粽の類いであると思うが、これはかなり贅沢なものだから、世の中が安定してから考えられたものではなかろうか。



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