店主敬白・其ノ弐拾伍







漢字で代表される様に、日本の伝統的文化は少なからず中国の影響を受けている。ところが料理という事になるとそれをあまり感じられない。中国の食文化は主に乾物に代表されるのではないだろうか。料理の大切な部分で、乾物の出汁を取り、又、乾物食材を水でもどして生の食材より、濃厚な味、食感を引き出したり、それは大変な技術を持っている。また、種類の膨大さには驚嘆させられる。

この中国料理に対して、日本料理は新鮮さを求めるし、調味料の分野では醤油・味噌・酒・味醂等の麹菌を操って作る醸造調味料を多用するといった様に独自の道を歩いている。やはり、中国の様に広い国になれば、輸送という事を考えても乾物の文化は発達するであろう。そして、中国の気候は地方によってはかなり過酷である。アメリカと同じ位の国土を持ちながら、アメリカは耕作可能面積が八十%あるのに対して中国は十一%しか耕作できないという事を考えても、食の保存に熱心であった事が考えられる。この事は、中国人は食に対する関心が強い民族であると言われているゆえんかもしれない。富と貧困の歴史を常に繰返している間に、独創性と味わいと経済性が最も一致している料理を作りあげたのであろう。

日本は、国全体が海に囲まれた島国である。自然と新鮮なものが良いという事になったのだと思う。そして、何より水が清らかであったから、そして、春夏秋冬がはっきりしていて、麹菌を扱うのにとても便利であった。また、適度の湿度により、埃のない清浄な空気に満ちていたから、さらに作りやすかった。この様に国情の違いで、馴染めない物は馴染まずという事で、他の文化とは違い、かなり純粋な、日本独自の日本料理の花が開いたのである。

日本料理には、茶道の精神が大いに入っている。「わび」「さび」といった精神的感覚が日本料理になると「粋」という言葉に置き換えられ、独特の作法を作り出している。日本料理では、アンバランスを良しとして「美」としている。

それは、あらゆるところに求められているが、顕著な例で説明すると、日本料理では、数字は奇数なのである。最も嫌われる数字は「四」で、「四」は四角を現わし、整いすぎているからである。つまり「粋」ではない。「二」の場合は、夫婦(めおと)にして同じ「二」でもどちらかを大きく、片方を小さくしてアンバランスにするといった具合である。

料理を盛り付けるときでも、一切れ、三切れ、五切れと奇数である事が鉄則である。どうしても二切れを盛り付けなければならない時は、一切れにもう一切れを立掛けて、アンバランスにするという具合である。盛付け全体を見ても、対称的に盛るという事は決してない。また、見る方向も決まっていて、表裏がはっきりしている。中国料理には、この様なしきたりはほとんど見い出せない。

私にも、日本料理のこのような作法や趣きが身についていて、特に盛付け等にはアンバランスが自然であると受け止めてしまう。バランスをとって盛付けてあるとかえって不自然と思ってしまうし、「ダサイな〜」等とつい言ってしまう。本当に日本料理は微妙なところに美しさを求めてくる。

そんな日本料理の作法に、ここ何年か変化を余儀なくされる事柄が起きている。レストランに於いてであるが、シェアー(Share)するという風習が出来上がってきたのである。つまり、分割して下さいという事であるが、特にお二人の時は、カップルに限らず男性同士、女性同士でも、シェアーしたいとか、シェアーして欲しいという要望がかなり増えている。中国料理では、シェアーすること自体が前提となっているが、日本料理ではあまりなかった。だから奇数に盛付けていたのが、二人にシェアーするとどうしても偶数にしないと、シェアー出来ないのである。二つに盛る、四つに盛る、六つに盛るという事を考えざるを得なくなっている。これは我々にとっては大変な事である。一種の革命が起きたのである。最初の頃は頭が変になりそうというのが実感であった。あしらい物や付け合せ物でごまかしたりしたものである。

しかし、最近になっては、もっと積極的に考え、これも、日本料理の新しい道であると思う様になった。そして、新たな発見もあった。その内容は、今はまだ企業秘密にしておきたいが、これをやると日本料理で偶数に盛り付けても自然体になる。私にとっては大発見である。将来は日本料理の作法の一つになるのではないかと確信している。今、私共では盛付けの改革は着実に進んでいる。こういう事を考えていると本当に楽しい。


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