店主敬白・其ノ弐拾六







おでんの出し汁は旨いですね。おでんを食べて、少々辛子がといてある汁を一口飲んでみると得も言われぬ味わいがあります。それもそのはずで、おいしい出し汁で煮込んだ、おでんの種々様々な材料からも濃厚な旨味と甘味がにじみ出ているから、ほんの少量の味付けだけで充分おいしいのです。甘鯛のような品の良い魚の切り身の皮面に熱い油をかけて、うろこを立たせて、うろこが少々焦げる位にして焼き上げて、おでんの出し汁をかけて食すると、焦げめのコクとおでんの出し汁の甘味が合いまって、いつもの焼物とは違う甘鯛の焼物を味わう事もできます。旨い出し汁だから、ご飯にたっぷりかけて、お茶漬にしてもかなり旨いものです。

それでは、こんなに旨い出し汁の作り方を、和食では多用されているのかと言うと答えはノーです。和食では、おでんの出し汁の様な物は、旨いとは言いますけれど、おいしいとは言いません。別に差別しているわけではありません。日本料理では、単味を最も大切にするという基本的思想があるからなのです。単味とは持ち味と言いましょうか、例えば、車えびだったら、どこの海で、いつ獲れた、大きさは何グラム位のものが最もおいしいとか、あるいは筍であれば、日本のどの竹林でいつからいつまで、それも何時に掘ったものが良いという事を料理人は知っていなければならないし、またその味もしっかり記憶していなければならない。

そして、その持ち味を、崩さずに料理するのが良い料理人であるという思想があるからです。そこまで厳密でなくても、料理人であれば常にそういったものを求める精神がなければだめだという世界です。だから、単味の味を技術によっていかに上手く引き出し、盛付けで美しく見せるかが基本です。

日本料理では、濃いスープをとって、香味野菜とか、にんにくとかベーコン等を使って、いくらおいしいソースを作っても、単味の味を崩す物はノーなのです。それでは、全くその様な物に手を出さないかと言われると、そうではありません。昔の割烹の様に、底なしの贅沢を言える世の中ではありません。洋食の技法であれ、中国等の技法であれ、取り入れられるものは一生懸命取り入れますし、勉強もしています。この様な勉強をしていると、日本料理というのは不思議な位単純な出し汁と、単純な調味料で、おびただしい種類の料理を作っているという不思議さを考えさせられます。日本人だけが特別の味覚を持っているのかと思ってしまう程、精密な仕事に精を出しているように感じます。

出し一つにしても、一昔前は一人前に出しを引けるには三十年かかるとも言われていましたが、その出し自体、昆布とかつお節でほとんど全てが足ります。その出しの引き方一つで何年もかかってしまう。もちろん、他の出しもあります。「くさ出し」もその一つです。かつお節の出しではもの足りない時など、これから調理する魚の骨を焼きます。それに少量の酒を加えて、昆布と共に出しを取り、かつお出しと割って使用します。「はも」とか「鯛」等、ある魚を料理するのにはとても便利な出しです。でも、その他に色々と出しを取る事はあまりしません。出し汁そのものの単味も大切なのです。吸物等、ふたを取ると何となくかつお出しの香りがして、一口するとかつおと昆布のハーモニーを感じ、飲み終えた時が調度良い味にするといった具合に、デリケートなものです。

さらに「返り味」という言葉があります。吸物を吸って、飲み込んで胃におさまると、胃袋から脳を通じて口に信号が発せられて、至福のおいしさが口中にもどって来る感覚を言うのであります。みなさんも何度か体験されているはずです。良い料理人はそこまでの味に責任を持っています。我々が言う単味の世界とは、そんなに繊細なものなのです。

話は飛びますが、私共のあるレストランのメニューの「お食事」という欄を見ていたら、そば・うどん・雑炊等が書いてあるが、ふと、日本人は正月だけでなく、一年中でもお雑煮を食べたいのではないか。まだ満腹してない時、おもち一つ二つのお雑煮を食べるのも良いのではないかと思った。料理長に話したら「出しはどうしますか」と聞いてきた。吸物の様に飲ませる時の出しと雑煮の様に食べさせる出しでは、食べさせる出しは相当しっかりさせたい。かつお節で相当しっかりと言えば、もう、それは割烹の世界である。まして、相手が雑煮であれば、そんな上品な出しの必要がない。鶏でも鴨等でも良いが、何か平凡である。

「ぼたんえびの頭はかなり良い出しがでるけど、どうか」と言ったら、「確かに旨い出しが出ますけど、身は火が入るとどうかな」等の話になった。ぼたんえびの身は火が入るとやせてしまうのである。結局、身は少々厚衣の天ぷらにする事になった。第一回の試作でOKになった。このような時、私は、かつお出しに敬意をはらって「旨かった」と言います。


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