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梅雨が明けると、判で押したように毎日食べたくなるのが、そうめん。本当に、そうめんだったら、飽きることを知らない。息子達が巣立ってからは、殆ど毎日食べていると言っても過言ではない。

そのそうめんだが、銘柄とか産地にはあまりこだわらなかったのだが、最近は島原か三輪そうめんが多くなった。島原のものは、まことに素朴な味わいが好きで、三輪のものはコシと舌に当たる食感がよい。しかし、毎年味わっているそうめんの大半が頂きものだから、余り好き嫌いは言ってはいられない。ただ、麺つゆが付いているものだけは、正直なところ閉口している。世の中の方々は、出汁をとってつゆを作るのがそんなに面倒なのかしらん。同時に、送られて来るつゆは、ことごとく甘い。甘いだけならば、醤油を足したりして改良出来るのだが、グルタミンソーダが入っているものは、申し訳ないけれど捨てることにしている。

利尻だとか羅臼産の素晴らしい昆布を用い、かつお節を丁寧に削り、出汁を取る。それに、酒と醤油を加えるだけで、立派な麺つゆが出来るではないか。好みで、砂糖やミリンを加えるのは、これは自由である。とにかく、自分流の麺つゆをこしらえ、好みのそうめんを味わって、夏を楽しむ。四季のはっきりとしている、日本ならではの食文化である。

Kubota Tamami
このそうめん、食べるのは盛夏であるが、作るのは真冬である。それも、身に凍みるような北風に麺を晒すのが、旨いそうめん造りの基本であるとか。一度そうめんを干している光景を見たことがあるが、それはそれは美しいものであった。細いハンガーのような仕掛けに、打ち終わった麺をものの見事に吊るしていく。それを、絡み付かぬよう細い棒で操りながら長いそうめんを干すのだが、ショーを観ているようであった。織りあげる前の反物のようでもあり、レースのカーテンのようでもある。食べものとは思えぬ麺が、風になびきながら、日光に当たって白く輝いたり陰になったりしながら交錯し、不思議な模様を作り出す。何時間眺めていても、飽きることない美しさであった。

そうめん干しのやり方は、長い竿のようなものに吊るす方法もあるようだが、いずれにしても干し終わった後に裁断して、我々がいつも見ているような束にして製品となる。が、根元の曲がった部分、切り落としの商品にならぬところを、そうめん造りの方々は召し上がっておられた。僕が地元で食べさせて頂いたのは、さっと茹でたものを冷水で洗って締め、これを油で炒めて食べるのだが、これまたおいしい。沖縄のソーメンチャンプルーのような作り方だが、和風の味付けで何とも言えぬおいしさであったことを思い出す。

このそうめんだが、数年の間一定の温度に保ちながら寝かせておくと、更においしくなるという。ただし、桐の箱のようなものに入れて保管しておかないと、あっという間に黴が生え変質してしまう。長期間寝かせておくと、少しずつ色が付いて来るが、淡いベージュ色になったものは問題ない。黒黴が付いたり、湿気を帯びてしまうと麺の張りが消え失せてしまい、触ると崩れてしまうから御用心。ま、最近はシリカゲルのような防湿剤が普及しているし、家庭でも三、四年は保存出来るかも知れない。また、三年間くらい意図的に寝かせたものが売られているが、かなりの値段が付いている。そんな高価なものでなくとも、麺つゆさえ上手に作り上げれば、充分においしいそうめんが楽しめる。薬味に工夫を凝らし、付加価値を付けるのも、そうめんの単純な味を倍加させる方法ではなかろうか。


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