店主敬白・其ノ弐拾八







若い時の事であったが、お客様のウィスキーの水割りを作っていると、時々、妙においしそうな色にできあがる時がある。なぜかなと思って、一人でウィスキーの水割りを色々と作ってみると、やはりおいしそうな色の水割りができる時がある。琥珀色が濃いでもなく薄くでもなく、氷の隙間を漂う色が実に良いのである。これを飲んでみると本当においしい。他のものと飲み比べてみると全く別のものといったおいしさである。慣れてくるとわりあい簡単にその色が出せる様になった。お客様に「この水割りはおいしいですよ」と言って差し出すと「あっ、本当だ、おいしい」と言われるから、得意になって水割りを作ったものだった。

この時体験したのは、「おいしい物は色もおいしそうに見える」という事であった。以来料理でも、素材でも、おいしい色を発しているものはおいしいというのは、私の哲学にもなっていて、常にその事に注意を払うようになった。

これも昔の話だが、私に酒の知識を色々と教えてくれる酒屋の主人がいた。彼は酒類全般に造詣が深く、英仏の百年戦争がどれだけの酒類を生み出したか等、興味深い話をずいぶん聞かせてくれた。その彼が「たまには、グルメ研究会なんかやりませんか?」と言ってきた。彼が選んだ超高級なワインを何本か持ってくるから、私は今最高と思う食材を取り寄せて欲しい。その食材に最も合っているワインを選んで開けるから食べて飲もうとの事であった。初めてであるが、そういう事をするのも勉強になるかと思い、やりましょう、という事になった。どんな食材にするかさんざん迷ったが、私の結論として、明石の鯛という事にした。明石の鯛に於いては間違いのない築地の仲卸しがあるので、そこで最高の明石の鯛を手配してもらった。当時で一尾二十数万円もした。その鯛をおろした料理長も、こんな良い鯛は今まで見た事がないと言ったが、私もその切身の色を見てびっくり。良い鯛は飴色をしているものだが、その飴色が、本当においしそうに見えるのである。どこまでも透明な身肉の奥から、飴色を通しておいしさが湧き出ているという感じである。これを薄切りの刺身にしてもらって、二人で一切れを口に入れた時の感動は今でも忘れられない。酒屋の主人は、この鯛にはこのワインだと言って一本のワインを開けてくれた。そのワインの銘柄を今思い出せないが、白ワインの透明の中にも鯛の飴色とよく似た色があり、その色がとてもおいしく見えるのである。その日の鯛とワインのグルメ体験は生涯忘れられないおいしさの体験であったが、眼で味が見えるという考えは今も変わっていない。この前もあるお店で食事替りにニシンそばが出てきた。少し濃いめのつゆは、身欠ニシン独特の滋味が出ている証拠であり、ニシンの煮色も良い。このそばは旨いぞと思う。そして食べてみたらやはりおいしかった。吸物でもおいしい色があると思っている。あのほとんど透明な液体でも、注意して見てみるとおいしい色がある。金匙(お玉)ですくった時のだしの色、そして椀種からにじむかすかな色にも差異がある。例外はあるとしても、見た目よりおいしい料理等、やはり考えられない。

先日、うなぎ屋に入って、どじょう柳川と鰻重を注文した。どじょう柳川が出てきたら、卵のとき方、上り具合の色、だしの色、どじょうの煮艶の色が旨そうという色を出している。味はやはり抜群に良かった。もちろん鰻重もおいしかった。

人は注意を払っていると、眼でかなりの味を知覚していると思う。良い料理人は、舌の他に、眼、耳、鼻、指で味を覚えていて、プロの調理場では当然の事のように行われている。例えば、煮方は煮付等の味を見る時、鍋に指先二本をさっと入れて、それをしゃぶって味を見る。スプーンでしゃくって味を見たのでは半分の味もわからない。指先が汁の濃度、粘り気、照り具合等々を瞬時に察知し、脳に伝え、その知識を基にして舌が味を判断する。私に言わせればこの時、味見のほとんど八割は指が判断していると思う。これは日本料理だけでなく、フランス料理のコック等もソースの味を見る時は、指で味を見ている。もちろんそれを舐めて塩や胡椒の微調整もする。

さて、水割りの話に戻るが、カティーサークとかJ&B等の様に色の薄いライトタイプのスコッチウィスキーがある。私共の店には置いていないのでほとんど水割りを作った事がなかった。たまたま友人の家で、カティーサークのおいしい水割りを作ろうとしたが、おいしそうな色が出なかった。以来、この種のウイスキーの水割りは人まかせにしている。



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