店主敬白・其ノ参拾弐







「今の人は口が小さいから包丁の入れ方に注意して」等と言う事がよくある。別に今の人の口が小さくなったわけではない。今の人は噛み切るという仕草をしなくなってきたという事である。特に女性を意識すれば、大きな口を開けて、がぶっと噛みちぎるような事は、料理を作る立場の者がさせてはいけない時代であるようだ。料理はおいしそうに食べるよりも、上品に食べさせるように気を付けなければならない。だから料理の一片の大きさは、女性の口に自然と入る大きさに包丁するようになってきた。

懐石料理でも喰い切り料理は昔から上品に食べられるように一品あるいは一片を小さめにしてあった。よく「隠し包丁をする」等というが、裏側から包丁を深く十字にいれておいたりしておくと、箸で軽く押しただけでも身が割れて、一口サイズになるようにしたものである。また、刺身の冊、つまり刺身の長さもだいたい指二本の幅が丁度よいとされてきた。それがなにも懐石料理に限らず、今はナイフ・フォークを使わない限り、全ての食べ物屋に要求されている。といっても、あまり小さく切れば安っぽくなるし、大きさのバランスの見極めは大切である。幅の広いものは横一文字に包丁する事もあるが、それでは大きさのバランスが悪い時は薄く切って簡単に喰いちぎられるようにする時もある。

このように昔はあまり気にしなかった事でも今は大切な作業というものがとても増えた。私共の年長の料理長に言わせれば、自分等の若い頃と今では仕事の内容が全く違っている。今やっている事を考えれば昔はかなり楽だったと言う。先ずは魚の種類も増えた。昔は「きんき」とか「のどぐろ(赤むつ)」等料理屋で使わなかった魚も今は高級魚として使うし、食材も日本固有のものだけでなく、広く世界のものを使うから大変だと。

それに「かいしき」も随分変ったと言う。かいしきとは、日本料理の最も大切な特色の一つであり、掻敷、改敷、皆敷、会敷等の文字で書かれるが、昔の日本では食器のかわりに趣きによって槲(かしわ)の葉とか椎の葉等を使用した事に由来されていると言われている。料理の下に敷く葉っぱや紙の事を指す場合もあれば、刺身や前菜等で木の葉や枝花、あるいは草花等で季節感や景色を添える場合もかいしきと言う。葉っぱを使えば青かいしき、紙を使えば紙かいしきと言い、天ぷらの下などに敷く天紙等もかいしきである。料理に付ける飾りと思って貰えれば良いかと思う。

そのかいしきだが、昔は笹とかもみじ位しか使わなかったのが、今では梅の枝花、桜の枝花、花菖蒲、和蘭、南天、青かえで、朴葉(ほうば)等々きりがない。青竹の器等もかいしきに入る。昔は青竹の成長期には使用したが、今はそれだけでなく夏の清涼感を出す為、あるいは冬に色の締った青竹もよく使用する。形も料理人が色々アイデアを出すので多種多様である。花木のかいしき等は農家の良いアルバイトになるらしく花の季節に多くの種類が出てくるし、使い易いように長さ、大きさの種類も色々ある。ただし、かいしきに外国の花や葉を使用しないということは日本料理の料理人の見識であり、私もこれだけは守って貰いたいと思っている。

先程の年長の料理長が言うには、日本料理も色々変ってきたけれど口だけは変らないですねと言う。口とは「吸口」(すいくち)の事であるが、吸口とはお吸物の香り付けに用いるもので、柚子とか木の芽(山椒の小葉)、しそ、茗荷、花柚(はなゆ)等を用いる。その代表格が柚子で、これはほとんど年間通して使われる。料理人の好みや椀種(わんだね)にもよるが、柚子の品の良さはやはり一番である。

市場では春先になると青い柚子が出て、秋になると黄色い柚子に変わる。昔の人は微妙な柚子の色の変化で季節を味わったが、今は青と黄とはっきりわかれて出荷されている。切り方も一文字、松葉、折れ松葉、ばち、へぎ等料理人の好みに切る。四角く切ったり、へぎ切りした柚子の型が鴨の頭の上部に似ていることから吸口を「鴨頭」(こうと)と言う事もある。なぜ吸口というかと言えば、お吸物を吸う時、柚子片を箸で吸い込まれないように、吸う口元のところでおさえて飲むと、香りとつゆの味が同時に楽しめる事からそう言われている。

とにかく柚子に優るものが出ないから、吸口は昔から柚子が王様という事は今も変りない。目まぐるしく進歩する料理の世界でも、不易というか不変のものがあるというのも誇らしい事ではないだろうか。変らないものを探すというのもおもしろい事かもしれない。


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