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六十も半ばに差しかかり、昔ほど肉を食べなくなった。三十代、四十代の頃は、何であんなに食べたのだろうと思うくらい、連日焼き肉屋に通っていた。というのも、広告の仕事に携わっていると、夜と昼が逆転してしまい、一般の方々が眠りにつかれる頃フイルムの編集作業が始まったりする。だから、どうしても生活が不規則になりがち、そんな時にオアシスのように思えるのが焼肉屋さんなのである。韓国系の方々はよく働かれるのか、赤坂や新宿界隈の焼肉屋さんはいつ訪れたとしても、旨い焼肉や韓国料理を食べさせてくれた。そんな訳で、週の半分いや週に五日くらいは、店を変えながら通っていたのではなかろうか。

という次第で、真夜中に大量の肉を喰らい、併せてビールもがぶ飲み、そのまま起きて仕事をしてる時はよいのだが、仕事仲間と食事をするのは作業の切りがついてからである。従って、食事をして家に辿り着いたらバタンキュー。四十代に入ってからは、体重も毎年一キロ近く増大していった。因みに、三十代半ばは六十五キロ台、四十代は七十五キロ。五十代の後半になると、確実に八十キロの半ばに近くなり靴ひもを結ぶのにも息が弾む。そう、完全にメタボの世界に突入していたのである。毎年一度の人間ドックでは、脂肪肝に始まり糖尿予備軍と診断されてしまう。

と、マイナーなことばかり考えてしまう昨今だが、減量作戦に成功し医者からも超健康体である、という御墨付きを頂いたのだが、不思議なことに肉を食べたいという意欲がかなり薄れてしまったのは何故だろう。ひょっとしたら、こてこての牛肉は体によくないという意識が働き、脳が勝手に拒絶してしまうものなのだろうか。今までは十日に一回くらい、懇意にして頂いている問屋さんで信州牛のランプ肉を買っていた。ランプというのは、サーロインよりややお尻に近いところにあり、比較的脂肪分の少ない部位である。やや固めではあるけれど、旨味のしっかりとしたよい肉だ。すぐ隣に、イチボという部分があり、これはしっかりとサシが入っており、新鮮なものだと刺身でも食べられる。しかし、近ごろは幻の部位とされ、中々手には入らない。

Kubota Tamami

この、十日に一回が最近では月に一回より間が空いているかも知れない。かつては分厚く切ったものを、ステーキとして楽しんでいたのだが、今はローストビーフにして数日間に渡り味わうことが多い。ローストにした場合は、薄切りにして食べられるから、パンに挟んだりサラダに混ぜたりして味わっている。肉が主役から脇役に変わってしまった感がある。が、僕の場合、旅先での食事になることがかなりある。こうした場合、地元の方々が食事に誘って下さるのだが、ステーキというパターンが度々ある。十勝、富良野、米沢、前沢、岩手、ちょっと飛んで、松阪、神戸、但馬、有田、高千穂、壱岐、対馬、五島等々、この他にも相当数の地元ブランドの肉がある。

確かに、どこの牛を味わっても、それぞれにおいしい。中には、ここから松阪に行ってるとか、この肉は神戸牛になるのです、という話をお聞きする。つまり、各地方で育てられたものを陸送し、一定期間移送した場所で過ごすと産地の名前が変わり、肉の値段がかなり高くなるというマジックだ。そうだよねー、神戸のどこに牛がいるんだろうか…。

そんな中で最近気に入っている肉に、岩手とか青森、山形で育成されている短角牛がある。俗にいう、赤ベコだ。これは、脂肪分が少ない代りに味がある。毎日食べても飽きないけれど、ネット以外には手に入れ難い。そんな訳で、今の僕には丁度よいのかも知れない。しかし、いささか寂しい気もする今日この頃。



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