店主敬白・其ノ参拾六







和食の料理人の世界というのは結構融通が効かないものである。例えば、高等学校や料理学校を卒業して和食の世界に入ると、その時に最初に付いた料理長がその人の一生の師匠という事になってしまう。業界ではその師匠の事を「親父」と呼び、一生、仕事の事から結婚等プライベートな事までも相談するもので勝手な行動は許されていない。新人は業界の事等何も知らないで入って来るのだから、当然師匠の事もほとんど知らないのに「親父」になってしまうのである。一流の料理屋から引く手あまたの料理長もいれば、割烹のような所を一度も経験した事もない料理長もいる。さらに、我々から言えば日本料理の体をなしてない職場もあり、そういう職場ばかり転々としている料理長もいるのだが、「親父」は「親父」である為に替えるわけにはいかない。

料理学校を卒業するとほとんどの人はプロの料理人になるべく色々なお店やホテル等に就職して行く。一流の料理屋に就職すれば最初の一年は全くの下働きである。ところが、ラーメン屋等に就職した者は一年で店長になってしまう人もいるし、料理の簡単なお店に就職した人等も既にかなりの料理を作らせてもらえる店もあって、一流の料理屋に就職した人を羨ましがらせるのである。修業のありがたさがわかるのは十年もたってからの事である。腕の良い料理長ほど躾や修業が厳しいので、そのありがた味がわかる迄さらに長い時間がかかる。  
我々も新しい料理人が入ってくると必ず「親父」は誰なのと聞く。「親父」の名前を聞いて安心する時もあれば、首をかしげてしまう事もある。我々からすれば腕の良い料理長を「親父」に持っている料理人は幸せだなあと思うのだが、本人はまだそういった事情はわかっていないのである。しかし、一流の料理長の元で修業を積まない限り、一流の料理人にはなれないのである。鳶は鷹を絶対生まない世界である。

ところで、私の知っている限り昔の板長(和食の料理長)というのは年取って体を悪くする人が多かった様に思う。花板と言われる位で遊び人が多かった為ではないだろうか。飲む、打つ、買うも盛んだったし、洒落者でもあったから、弟子達もそういった「親父」の姿に憧れたものである。皆がまだ忙しく働いていても「親父」が「帰るぞ!」と言えば着替えを手伝い、靴まで履かせて送り出すのである。若い人達はいつかああいう風になれるのだと思って毎日のきつい仕事に耐えていた。

そういう板長の世界でも最近は年を取れば取る程に良い仕事をする人が増えてきた。そう多いとは言えないが、後輩に道を譲るというよりも、新しくて素晴らしい仕事(料理)を次々に開発して後輩の仕事に新しい息吹を吹き込んでいる人達にはびっくりさせられる。最近の日本料理はすさまじい進化をしているが、これはやはり世界がグローバル化した事により新しい刺激が出てきたからではないだろうか。そんな世界で若い料理長をうならせるような洒落た仕事をする老料理長がいるのである。

絵画や音楽等の芸術の世界では年を取れば取る程に発想も斬新で素晴らしい作品を生み出す芸術家がいるが、料理の世界でもそんな事が起き始めたのではないだろうか。遊んでいる事を羨ましいと思われるより、やはり良い作品を作って羨ましがられる方が良いと気がついたのだろうか。

私は以前より、料理は限りなく芸術に近いものだから年など関係ない、年齢なりの豊富な経験が常に新しい作品の開発に貢献してくれる、と言ってきたが、こういった料理長が出て来るとますます確信を深くする。

現在、芸術でもスポーツでも英才教育が盛んである。三歳から始めた、四歳から始めた等とよく耳にする。ところが和食には英才教育が無いのである。まさか三、四歳で割烹に働く事はできない。そうかといってお母さんの手料理の手伝いをしてもほとんど役に立たない。割烹料理は料理屋で生まれ料理屋で育ったから、家庭料理とは隔絶したものである。だから料理屋に就職した時からしか英才教育が始められないのである。一人前に料理長として料理が作れるようになるのは早くて三十三、四歳以上になってからである。腕が良くて、味も絶妙な良い味を持っているのに四十歳半ばになっても料理長になれない料理人もいる。唯一の欠点は献立が立てられないからである。献立を書く事は慣れによって相当成長するものである。そういった意味からも現役は長ければ長い程よい。

遊びに飽きたら引退でなく、もう一度仕事に打ち込むべきである。きっと遊びも良い栄養になっているはずである。板前の仕事の旬は四十代後半から現れてくる。だから板前は生涯現役の心を持たなければ相当短い旬で終わってしまう。


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