店主敬白・其ノ参拾九







最近はそれ程でないが京都には多々用事があるのでよく行く。しかし観光はほとんどしなかった。知人でやはり京都にちょくちょく行く方がいて、一昨年の秋に一緒に京都に行った。この方は京都へ行く場合には必ず一泊して、一日は寺院等の観光にあてているそうだ。この時は紅葉を見ようとの誘いだったので、私ものったのである。まず東福寺の紅葉を見る事になって行ってみた。まだ紅葉は始まり出したばかりでテレビのコマーシャルのような庭には程遠かった。次に金閣寺に行った。私が以前見た金閣寺よりも綺麗だと思ったら、後で知ったのだが、その日の二日後にアメリカの大統領が金閣寺を訪れたとの事だったので、ちょうど大掃除をしたばかりだったようである。思わぬ拾い物をしたものだ。夜は祇園の有名なステーキ屋に行って、その後、私の知人が経営しているバーで飲んだ。

その方から久しぶりにまた近々京都に行かないかと声が掛かった。観光がてらの京都も良いかなと思い誘いに乗った。ただその方が言うには前回はスケジュールがきつかったから、夜はホテルでゆっくりしたいとの事だった。その方が滋賀県の彦根城がなかなか良い所だと聞いてきて、彦根城観光という事になった。ホテルも彦根市内にとったそうである。

新幹線で米原まで行き、在来線一駅で彦根に着いた。のんびりしたいという事で、まずホテルに行って荷物を置いてお茶をした。その方はホテルのレストランのメニューを取り寄せて夜の食事の内容を見ていたが「ビジネスホテルのメニューだね。やはり、外で食べよう」と言う。夜まで時間があるので色々情報を得てから食事に行く店を決めようという事になった。とにかく彦根城に向かった。

彦根城の案内書を見ると、彦根は中山道と北国街道が合流し、京都へ向かう街道に位置していて軍事上重要な地点の為、徳川家康が関が原の合戦後、徳川四天王の一人、井伊直政を石田三成の居城の佐和山城に入城させた。ところが直政は三成の居城であった事を嫌って城替えを望んだ。しかし直政は関が原の戦傷でじき死去した。そこで家臣達が直政の遺志を継いで、目の前の琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山)に彦根城を建設したと説明されている。七カ国十二大名が手伝いを命じられた程の天下普請で名城となっていったそうである。明治六年の廃城令もまぬがれ、戦災も受けないでほぼ原型を残しているそうだ。

平山城なので見てまわるのは比較的楽である。堀添いのいろは松といわれる道を通って城内にはいる。国宝である天守へ行く前に天秤櫓と廊下橋がある。天守は彦根山の頂上だった処と思うがそこへ行くまで、ちょうど高速道路のインターチェンジを登る様にぐるぐる左廻りにまわって廊下橋で下の道を横切るという、なかなか考えた道造りである。天守の建物はことのほか梁に風情がある。自然の木の曲がりをそのまま利用してある梁で一本一本それぞれ形が違う。町と城は一体化されておりこの天守から町全体が見渡せられる。大名庭園である玄宮園も国の名勝に指定されているだけあってとても広く味わいもある。また、ここから見上げる天守も木々に埋もれる山頂にあり、四季それぞれの趣が楽しめるのではないだろうか。およそ三時間程の散策で彦根城をあとにした。

タクシーに乗って、この辺で美味しい物は何かと聞いたら、やはり近江牛でしょうと言う。ホテルで聞いても近江牛を勧める。店を教わって行ってみたら、連れの人が「この値段は何!」と大きな声を出した。私もウインドウのメニューを見てびっくり。東京の一流店も顔負けの高い値段である。そこで私はおもしろい話を思い出した。以前、下関にふぐの買い付けに行った時に、懇意にしている地元の仲買人が夜はふぐを食べましょうと誘ってくれた。最初に行った店は彼の取引先だそうだが、ここは見学だけと言う。この店は観光客に有名な店で一人三万円から五万円は取ると言う。次に行った店もやはり彼の取引先で、彼ら地元の人がよく使う店でどんなに食べても一人一万円は行かないそうだ。どちらも彼の処から卸している同じふぐを使っているけれど、観光客はこの店の値段を見てにせものだと思うようで、どうしても高い方の店に行くそうだ。うそのような本当の話である。

近江牛も地元だからと言ってあまり安く売ると、観光客に信用されないのではないのか等と考えてしまう。私の同行者は「生産地には生産地の割安感があって良いはずだ。運賃だって掛からないのに」とぼやくことしきりであった。


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