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毎年のことだが、師走を迎えると急に気持ちがそわそわとしてくる。というのは、六十歳になるまでの約三十年間、我が家に於いてモチツキ大会を催していたからだ。大体、年末最後の土曜日をモチツキの日にしていたが、カレンダーというのは無情なもので、大晦日になったりクリスマスの翌日になったりする。余り早すぎても具合が悪いし、二十九日なったりすると苦餅といって縁起が悪いのだとか。

ともあれ、そのモチツキに何人の人達に声を掛けようかとか、どんな料理を出そうかと、大いに悩むのである。モチツキを始めて十五年ばかりは、東関親方(元高見山)にお願いして部屋のお相撲さんに加勢をしてもらっていた。そんな訳で、水戸泉関、小錦関、曙関などという有名な関取衆がモチを搗いてくれたものだ。お相撲さんは、我々のような並みの男と異なり、一人で一臼をあっという間に搗き上げてしまう。だから、モチも冷たくならないし、肌理も細かくてまことにおいしいモチとなる。それに、お相撲さんがモチを搗く光景は、いかにも日本の年末という風情が漂い、多い年は二百五十人を超えるモチツキの参加者があった。

Kubota Tamami
となると、料理を用意するのも大変だし、料理のメインであるアラ(地方によってはクエとも呼ぶ、五十キロ近くなる巨大魚)だって、三十キロ位の大きさではとても足りない。裏方を努めて下さるのは友人達の奥方連や女性軍だが、ただただ働くばかりでモチツキを楽しむゆとり等全くなくなってしまった。こんなことが三年ばかり続くと、女房殿は十二月が怖いと言い出すし、毎年加勢に来て下さる奥方達の出席率も低下して来る。おまけに、モチツキに参加して下さった方の中に、全く面識のない人がかなり出て来る始末。挙げ句の果てには、料理がないとか酒がないとか喚く人も現れるし、何の為にモチツキを行なうのか全く分らなくなってしまったのが現実。そこで、還暦を迎えることを機に思い切って打止めとすることにした。

モチツキを止めた年は、正直なところいささか気の抜けた大晦日を迎えたが、体は楽だし正月もそれはそれはのんびりと過ごせた。止めたことを知らずに、数人の方々が訪れて来たが、その方々には新潟の安塚の棚田で生産された、『ブンズイ餅』という幻のモチをお裾分けして引き取っていただいた。

という次第で、ここ数年は本当にのんびりとした大晦日と正月を過ごしている。本来ならば、どこか旅にでも出ればよいのだろうが、二頭の犬を飼っているのでそうもいかない。暮れの三十日には殆どの正月料理を作り上げ、大晦日には犬を引き連れ近所の神社に初詣でに行く。神社の近くには古い寺もあり、除夜の鐘が腹にズシーンと響き、身を浄められる思いも出来る。ようやくにして、本来の大晦日を実感したと申してもよいのだろう。年越し蕎麦は、モチツキを始めるのと同時に蕎麦打ち道に入門した友人が、毎年必ず手打ちの蕎麦を届けて下さる。その蕎麦の味は、趣味の域を脱しいつ蕎麦屋を開業しても問題ない出来映え。

夫婦二人でのんびりと元旦を迎え、二人で屠蘇を交わす。博多スタイルのアゴの出汁で作った雑煮、牛のコーンドタン、筑前煮、焼き鴨、他諸々の節料理。来年の節料理の楽しみは、野菜の七割近くが自家製のもので賄えることだろう。元日の昼過ぎには、二人の息子夫婦がやってきてささやかな正月宴。嬉しいことに、来年の五月には長男夫婦に子供が産まれる様子。我々にとっては初孫だから、こればかりは大いに祝って上げようと思う。父檀一雄がネズミ年だったから、初孫は生まれ代りかも知れない。いやはや、めでたい。



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