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昨年の年末は、農作業で大忙しだった。わずか十坪プラスアルファーの畑に十数本の大根を植えたのだが、夫婦二人で週に一本の大根を消費するのは大変。こともあろうに、練馬大根を植えたものだから一大事。一本の長さが七十センチ強あるのだ。最初は沢庵を漬け込もうと考えたのだが、残念ながら沢庵用の漬け樽の持ち合わせなどある筈もない。本来ならば、大根を二本の荒縄に梯子のように縛って干すか、葉と葉を縛り振り分けにして干すのが常道。数日間天日に晒し、大根の水分の五十パーセントくらいを蒸発させる。しんなりとしてUの字に曲がれば、干しは完了。次に、糠と塩を施しながら樽に漬け込み、大根の葉を被せて樽の底よりやや径の大きい蓋をする。最後に、沢庵石と呼ばれる十数キロの玉石をいくつか乗せて一か月くらい待つと、幻の練馬大根の沢庵が完成する筈であった。

残念ながら、沢庵作りは全ての準備を整えて、今年の晩冬に行なうとしよう。そこで思い立ったのが、切り干し大根作り。これであれば、樽の心配は要らない。が、太陽という強力な味方の援助がなければ成立はしない。もう一つ、大量の千切り大根を作る根気を要求される。最近は便利な千切りの道具もあるが、これで使うと余りにも均一に切れるのと、ややもすると方向が斜になりかねない。人間の手は正確さには欠けるだろう、しかしこの不揃いの良さは馬鹿にならない。天日に数日委ねた後、完成した切り干しを煮込む時に手作りの有り難さが分るのだ。つまり、不揃いであるし、切り口が滑らか過ぎないからこそ、味が染み込み易いのだ。

とは言うものの、数時間まな板に向かって単純な作業を続けるのは並み大抵のことではない。包丁を握る握力はなくなるし、背中がパンパンに張って来る。次第に、自分のしていることに対しての嫌悪感さえ湧いて来る。だが、切り終えて山となった大根を前にしての達成感は素晴らしい。三千メートル級の山を登り切った喜びに似ているかも知れない。そして、平らな大ザルを五枚ほどベランダに並べ、その上になるべく重ならないよう注意しながら散らしていく。

Kubota Tamami

幸運なことに昨年の十二月は、好天気が続いて空気も乾燥していた。四、五日干し続けると、大根は見る見る縮んで行くではないか。二日目はザルが四つになり、三日目は三つ、最後はとうとう一杯のザルに収まるように収縮し、僅かではあるが黄色味を帯びて来る。そして嬉しいことに、太陽の匂いと甘い大根の独特の香りが鼻腔をくすぐる。これで、週に一回食べたとしても、半年は十分に持つ量だ。早速、出し汁と醤油、味醂、それに刻んだ油揚げを切り干しと共に、炒め煮にする感じで煮付けて味わった。思わず、万歳(オバン菜ではない)と叫びたくなった。

幸か不幸か、切り干しを切り終わった日に、友人が渋柿を大量に下さった。当然のことながら、干し柿を作りなさいという有り難い志からである。だが、干し柿を作る為には皮剥きをせねばならぬ。百個の柿の皮剥きという単純作業が続き、ついに女房殿の親指がバネ指になってしまった。柿のヘタの先の枝をTの字に残し、剥き終わった柿を麻紐に等間隔に吊して干し、二日に一度くらい軽く指で押し潰す。雨に濡らす訳には参らぬから、天気予報を気にしながら危なさそうな夜は室内に取り込む。

とまあ、こんな具合で切り干し大根と干し柿が見事に完成し、残った大根も庭を掘って埋めた。こうしておくと、一か月は優に持つのである。これで二月は、自家製の切り干し大根の煮付けと、柿ナマスが楽しめる。何だか、タイムマシーンに乗って昔に帰った気分で、大いに愉快な今日この頃である。



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