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終の棲み家となるべく家を、博多湾に浮ぶ能古の島に建てようと思い立って早三年の月日が流れ去った。が、家の方は一向に立ち上がってはいないのが、現実。と申すのは、父から譲り受けた能古の土地が、市街地調整区域という、ややこしい法令の許にある土地であった。おまけに、玄海国定公園の一部でもあるから、簡単に宅地造成が出来ずに今日に至っている次第。

それでも、梅林であったところを目を瞑って淘汰し、野菜畑に変身させ今は種を蒔くばかりの状態に仕上げた。二十数本あった梅の木は根回しを施し、島外の知人に植えて頂いたり、我が家の別の場所に移転した。しかし、植木屋さんの話だと、梅の実を期待するのであれば六十年の古木より若木の方が実つきはよいそうである。と、言われても、生木を切り倒すのにはかなりの勇気が必要。細くて姿の悪い木だけは、幹に白い鉢巻きで印をつけ、僕の居ない間に切って頂いた。

その甲斐あって、野菜畑は福岡ドームを眼前に見晴らす絶好の位置にある。このロケーションであれば、農作業をしていて疲れた折に、百万都市を見やりながら疲れを癒すことが出来るだろう。畑の隅には、いつの間にか生えていた藤のつるがあるので、これを基に藤棚を作りベンチを設けようと考えている。畑には水を撒くことは殆どないだろうが、何とこの畑には立派な井戸が備えてあった。井戸というより、涌き水の貯水槽という感じだが、畑には十分であると思われる。但し、井戸が浅いので、飲料水には向いていない。

Kubota Tamami


そこで、思い切って井戸を掘ることにした。能古の島は離島ではあるが、昔から電気と水道は完備されている。最近は、下水道も敷設され、ないのは都市ガスくらいのものである。暮らしを支えて行くのには、水道があれば充分なのであるが、我が家のお隣のお宅に井戸があり、飲ませて頂いたのだが大変においしかった。どうやら、水量も豊富なようであり、夏でも冷たい水が汲めるようである。
「井戸を掘りますが、どう思いますか」
女房殿に問うてみると、殊の外嬉しそうな様子なので、早速実行に移す。井戸屋さんは隣家の井戸を掘った方を紹介して頂き、打ち合わせをしたのだが、三百六十度をぐるりと見回した井戸屋さん、
「ここにしまっしょ。ここなら鬼門からも外れて居りますし、六十メートルばっかし掘ったなら、そりゃーヨカ水のでまっしょーや」

井戸屋さんの仰せの通り、約十日の後に固い岩盤の下から毎分三百リットル近い水が涌き出した。と言っても、自噴する訳ではないのだが、我が家の位置が後十メートル低かったら、モーターを使わずに済んだとか。能古の島に降り注いだ原始の雨が、今蘇って僕の喉を潤してくれるのである。井戸の完成後に行なった水質検査も、大腸菌やその他の雑菌もゼロ。濁りも臭気もなく、pHは8ということで弱アルカリ水。水の硬度は軟水で、どちらかというと日田天領水によく似ている。ということは、我が家の井戸はミネラルウォーターの部類に属する水である。

これには、女房殿共々大感激。しかも、化学に強い長男からメールが来て、もしかして風呂に用いたら肌がすべすべして気持ちのよいことになるかも。と。ひょっとしたら、家の水は鉱泉? 二〇〇九年の夏には家は完成する、風呂の水も水道から井戸にチェンジ。今は前期高齢者だが、どのみち後期高齢者となる。さすれば、風呂とお茶は生活に欠かせぬ必需品。料理も然り、その原点が全て水にある。万歳である。命の水を掘り当てたのである。六十五年間の人生の中でも、最も印象に残る嬉しい出来事であった。感謝、感謝、大感謝。



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