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今年は、正月から京都の漬け物を堪能した。漬け物は、毎日の料理の主役にはなれないけれど、御馳走と御馳走をつなぐ役目があると思う。同時に、主張の強い料理の呪縛から解き放してくれる、清涼剤のような役目もしてくれるような気がする。基本的には、日本酒やワインがそうした働きをしてくれるのだが、漬け物も箸休めという言葉あるように、着実に気分転換をはかってくれているのではないだろうか。

ところが、昨今の漬け物はおいしさを簡単に醸し出す為に、旨味調味料を多用している。最近は法律が厳しくなり、必ず品物のどこかに材料が明記されるようになった。よく見てみると、調味料の欄にアミノ酸等と必ず記されている。このアミノ酸が、旨味調味料であることは誰しもがご存知。日本には、それこそ何百何千の漬け物業者が存在し、地方の名産品として空港や駅の土産物店で多売されている。悲しいかな、こうした品々の殆どに添加物としてのアミノ酸が用いられているのである。

このことは、既に何回も言っていることであるが、太平洋戦争終結の後日本は未曾有の食糧難の時代を迎えた。この時期にはおいしいものを作ろうにも、ろくな出汁を使うことが出来なかった。そこで大活躍をしたのが、旨味調味料であることは古い方なら誰でもがご存知。どんな料理にでも耳掻き一杯程度の魔法の粉を投入すれば、忽ちにしてある水準まで料理の味を引き上げてくれる。ただし、所詮化学的に創り出された物質だから、食後にねっとりと舌に何かが絡み付く感覚を覚える。昆布であるとか鰹節という自然界がもたらしてくれる旨味には、この独特の不愉快な感じは残らない。

Kubota Tamami

今や日本は、世界をリードする食の大国であり、世界中の人々が日本料理の味付けを参考にしている。ここで、面白い現象が起きている。西欧諸国の方々は、旨味調味料の存在をご存知ない。だから、海外へ進出された料理人が仕上げとして白い粉を用いると、途端に拒絶反応を示すのだとか。中には、アレルギー反応をおこす方も多いそうである。現在、世界的に不景気の風が吹き荒れている。が、相変わらず人々はおいしいものを求めて止まない。もうこの辺で、旨味調味料に依存することは止めようではないか。

日本が誇るおいしい漬け物業界のお偉いさんが言っていた、
「多かれ少なかれ、漬け物にグルソー(グルタミン酸ソーダ)は欠かせません。入れないと、お客さんが買ってくれないんですよ」
と。この言葉は、ショックであった。しかし、最近になってこの状態から脱却しようと努力されている漬け物屋さんが少しずつではあるが増えて来た。京都の大原の漬け物屋さんも、まことにおいしいしば漬けを作っておられる。

ところが、こうした本物の味を知っておられる方が毎朝殺到し、我々のような旅行者が評判を聞き付けて訪れても入手が不可能。この事実を、京都に多々ある漬け物屋さん達は謙虚に受け止めて欲しいと思う。何も江戸時代まで遡る必要はない、戦前の素朴な漬け物の作り方を再現するだけでよいのである。

どうにも、こと漬け物の話となると意固地になってしまうのだが、つい最近京都の叔母においしい漬け物を送って頂いた。なんの変哲もないしば漬けとすぐきであったが、しみじみとおいしい。山奥の美山というところのものらしいが、残念ながら量り売りの袋詰めだったので、肝心の店の名前が判らない。恐らく現地に足を運んで買わねばならぬものだろうが、今年の夏には是非手に入れようと思う。漬け物だけで、ご飯をおいしく味わえる、いかにも京都らしい素晴らしい漬け物だった。



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