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目には青葉山ほととぎす初がつを 素 堂

この山口素堂の俳句は、余りにも有名である。ここ十年ばかり俳句の世界に首を突っ込み始めてはいるものの、このような名句は到底浮んでは来ない。僕の発句の傾向は食べものにまつわるものが多いのだが、到底素堂のような名句は浮ばない。むしろ、素堂の句を前にして、初鰹の季語は五月で青葉もほととぎすも六月で季重なりではないか、と、大胆にも文句をつける始末。とは申せ、よくよく味わってみると五月から六月にかけての様子を、視聴覚の三機能を見事に表現しているのである。この句は十八文字だが、五、七、五、の文学とは、世界に誇れる貴重なものと、改めて思い直している。

この初鰹、やはり地球温暖化の影響だろう、かなり様子が変わって来ているようだ。どういうことかと申すと、初鰹の季節に戻り鰹のような脂の乗った鰹が漁れたり、秋口に初鰹のようなサッパリ系の鰹が釣れたりと、鰹の回遊の季節が全く定まらないそうである。これは、黒潮とか親潮と呼ばれている海流が、水温の変化によって蛇行したり日本列島から離れたりで、鰹の餌となるイワシのような小魚の生態系が変わったことに起因するらしい。そんな訳で、我々食べるだけの人間にとっては、脂の乗ったこってり鰹を一年中食べられることには感謝しよう。だが、江戸時代のように、初鰹が町に現れたら恋女房を質に入れても、鰹を食べたいという粋が生まれない。もっとも、今の世の中女房を質に入れる等というエスプリは、どうやっても理解されないだろう。いやいや、それどころか高い慰謝料を請求され家から追い出されてしまうに相違ない。

Kubota Tamami

我が家の鰹の食べ方であるが、初鰹の場合はこれはシンプル味わう。ワサビではなく、溶き芥子か下しショウガに刻みネギを添え、醤油に溶かして食べる。戻り鰹のように脂の乗り切った濃厚なものは、五枚に下ろしてから藁を燃やしてさっと焙り冷水に浸し、俗にいう霜降りとする。この霜降り鰹を大皿に背と腹の二本を乗せ、この上に大根下ろしをベースにした具を鰹が隠れるくらいに乗せる。その具であるが、大根を三分の一くらいすり下ろし、これをボウルに入れておく。この中に白ネギ、青ネギ(万能)、大葉、根ミツバといった香りのある野菜を刻み入れ、ニンニクとショウガを下ろし加えて軽く混ぜる。大根の汁は適当に絞り、汁は捨てずにとっておき後で丁稚汁に用いる。

大皿に乗せた鰹を二センチくらいの厚さに切り、その上にこの大根下ろしベースの具をかぶせ冷蔵庫でしっかり冷しておく。この間に、鰹の中落ちや背骨を適宜の大きさに整えて鍋で煮よう。大阪の船場の奉行人達が賄いで食べたという丁稚汁、僕の大好物のひとつでもある。昔は丁稚というくらいだから、極めて単純に火を通しただけだったのだろうが、僕は昆布と酒とスライスにしたショウガを加えて火を入れる。湯が沸いて来ると、かなりのアクが浮くから丁寧にすくい、消えたところで取って置きの大根の汁を加え塩と薄口醤油で味を整える。椀に注ぐ際に、葉ミツバとか柚子の皮を加えると、更に高級感を増すと言っても丁稚汁。飯とよく合う、素朴な汁。

冷蔵庫から取り出した鰹の皿盛りは、やはり溶き芥子がよくあう。湯のみ茶碗のようなものに粉芥子を入れ、仄かにぬるい湯を注ぎ入れ、しっかりと練って皿に伏せて置く。不思議なことに、ガス器具の横の暖かいところに十分くらい放置しておくと、芥子の風味がさらに増す。このよく立った芥子を醤油に溶かし、具沢山のたたきを味わう。高知の方は、これだけで一升は飲んで仕舞うのだとか。



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