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能古島に移り住んで、はやくも二か月。しかし、家の造作は未だ完璧とは言えない。クローゼットの扉がついていなかったり、雨戸がなかったり。エクステリアに至っては、ほとんどが手つかずの状態だ。それでも、台所と風呂と寝室だけは仕上がっているので、毎日の暮らしには不自由はしていない。こんな未完成の家でも、泊まり客だけは三日も空けずにやって来る。という次第で、その対応に追われて農作業も手につかず、畑には上棟式の際に植えた里芋だけが収穫出来るぐらい。

従って、日々の暮らしの糧は、フェリーに乗って対岸のスーパーに買い出しに行くという体たらく。面白いもので、目の前が海だというのに魚が手に入らない。周囲に住まわれている方々の多くが半農半漁だからだろう、島には魚屋というものがない。わずかな種類の魚だけは、渡船場にある観光客目当ての売店で売られているのだが、いつ行っても同じ魚ばかり。魚屋というのは、ずらりと旨そうな顔をしたのが並んでいるから食欲と料理欲が起きるのだ。が、対岸の町のスーパーには、ロシア産のカニとかよその地方から運ばれて来た魚ばかり、それを買うのもばかばかしい話である。対岸には近海の魚だけを扱っている、小さいけれど素晴らしい市場があるけれど、残念ながらそこは卸売りの資格がないと出入りは出来ない。今までに二回、知り合いの魚屋さんにお願いして買ったことはあるけれど、買うときは箱で買わねばならないのが悩みの種。

Kubota Tamami
ということで、出来れば釣りに行きたい。我が能古島は、十センチ足らずの小アジの宝庫。街からやってきた子供達が、無造作に小アジを釣り上げているし、ルアーでスズキを何本も釣っている人も見た。圧巻は、五十センチ近いヒラメだったのではなかろうか。キスも釣れるしチヌも釣れている。本来ならば、今すぐにでも釣り糸を垂らすべきなのであろうが、釣りの仕掛けと餌を買いに行く暇がないのが現実問題。スーパーで買った小アジと、自分で釣り上げた小アジを用いた南蛮漬けではどちらが旨いだろう。ああ、愚にもつかないことばかり妄想するようになってしまった。

そうそう、南蛮漬けで思い出したが、能古の南蛮漬けというのは、アジの頭を切り落としてしまうようだ。港の近くの食堂も、近所の方から頂いたそれも、みんな頭を落としてある。我が家の南蛮漬けは父から伝授された方法で作るが、頭は二度揚げするから全く気にならない。むしろ、頭の骨の食感がたまらなくおいしい。子供の頃、父の作ってくれた南蛮漬けの頭を残したら、

「タロー、身は残しても頭は食べなさい。魚の頭にはカルシュームが一杯入っています。骨をよく噛みしめて食べると、あなたの骨が丈夫になるだろうし頭もよくなりますよ」

頭がよくなるという言葉に釣られて、爾来骨は絶対に残さないよう心がけた。カルシュームの存在はともかく、DHAの効用を父は知っていたのだろうか。いやいや、当時はドコサへキサエン酸なんていう言葉は流布していなかった筈なのに…。父流の南蛮漬けの作り方は、アジのエラと腸とぜいごだけは掃除する。塩と胡椒を適度にふりかけ小麦粉を付け、中温で二度揚げする。揚げ方の目安は、中骨が柔らかくなっていればそれでいい。このまま好みの調味料を用いて味わっても、抜群に旨いだろう。漬け込む液の作り方は、昆布と鰹節の合わせ出汁を五に対し、淡口醤油一と酢を一。この中に、玉ネギ、人参、セロリ、キュウリ等をスライスして加える。風味を付ける為、唐辛子、ローリエ、粒胡椒を適宜入れ一煮立ち。この液に揚げたアジを三十分浸せば、我が家の南蛮漬けの完成。おやおや、砂糖はと思われる方は、どうぞお好みで。父の影響か、僕は甘い南蛮漬けは苦手である。とまれ、大量に作ると二、三日は楽しめる。


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