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つい先日、博多の郊外へ福岡名物の『あまおう』を買いに農家を訪ねた。あまおうという品種の苺(いちご)は、赤くて丸くて大きくて旨いの頭文字を取って名付けたそうである。僕が訪ねる農家はいつも決まっていて、ここ数年はあまおうを作っておられるが、五、六年前までは『とよのか』という品種の苺を作っていた。聞いてみると、やはりあまおうが市場に出てしまうと新しいものの方が人気も高く値も高くなるそうである。そればかりではなく、食べてみたら圧倒的においしかったから、品種を切り替えたのだとか。僕も、どちらかというとあまおうの方が好きかも知れない。おいしいばかりではなく、冷蔵庫に入れておけば日持ちがするようである。

やれやれ、苺の話になってしまいそうだが、本題は芹(せり)とクレソンだ。苺農家を訪ねた折に、どこか芹が生えているところはないか問うてみた。女房殿が、芹ご飯が食べたいと願ったからの話である。

「近ごろは稲を作らんごとなったけん、田はのうなったもんね。ほーれ、この苺んハウスも昔しゃー米ば作りよったとよ。水路ば塞いでしまったでっしょうが、やけん芹は枯れっしもうたばい。そんかわり、川にはクレソンが生えとるばい」

なるほど、近くの川を覗き込んでみると、そこかしこにクレソンが群生しているではないか。クレソンと言えば、東京のデパ地下あたりでは一束が二百円近くするだろう。ざっと見渡しても、数十万円分の量はあるに違いない。しばらくは夢中になってクレソンを摘む。あっと言う間に、大きいポリ袋に満杯の収穫である。芹はなかったが、見事な苺と共に意気揚々とクレソンを家に持ち帰った。ところがである、最初はニコニコとしていた女房殿がクレソンを少し口にして、
「このクレソン、油の匂いがする。どこで採ってきたの」
僕も一口食べてみた、確かに嫌な匂いがする。多分、重油か何かの匂いが移ったような感じである。考えてみたら、クレソンを摘んだ川は見た目には澄み切っていた。だが、昔の小川と異なり、川の両側は見事なまでの護岸工事が施されていて、所々に用水路の水が流れ込んでいたようであった。もしかしたら、どぶからの汚水も流れ込んでいるやも知れぬ。

Kubota Tamami

という次第で落ち込んでいた翌日、家の近くを犬連れで散歩していたら、数年前まで田であっただろう場所にびっしりと芹が生えているではないか。畳の面積にしたら、六畳は分は優にあるだろう。しかも、根の部分が赤い紛う方なき田芹である。根の先端から葉先までは十五センチ位だろうか、香りもすこぶるよろしい。これで、クレソンの汚名は挽回出来る。家に持ち帰ってよく掃除をした後湯がいてみたら、実においしい。これならば、お浸しにしても白和えにしてもよし、その夜は余り量がなかったので油揚げと椎茸と一緒に味噌汁に加えてみたら、最高。香りといい味といい、久方に満足した芹の味であった。当然のことながら、翌日は友人を伴い芹摘みに没頭。期せずして送られて来た筍ともに芹ご飯を堪能した。やはり、日本の季節の味わいは絶妙ではないだろうか。

そして昨日、ついに清流にてクレソンの群生地も発見。どうやら近くには、野生のワサビもあるようだ。場所は、福岡と佐賀の境にある背振山の一角とだけ報告しておこう。適量のクレソンを摘み、腐乳(豆腐を発酵させた調味料)とニンニクで炒めてみた。味付けは、酒と醤油を少しずつ。よく、台湾でお粥とともに食べる青菜炒めである。空芯菜と同じ感覚で味わうと、ご飯やお粥の味が深くなる。というところで、昨今は日本の春の味を楽しみながら、日本に生をうけたことに感謝している。



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