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梅雨が明けた途端、我が庭には熊ゼミが大量発生して、早朝からワシワシと啼き喚く事態は全く予想していなかった。とにかく、耳をつんざくほどの騒音である。しかし面白いもので、昼前の十一時前後には申し合わせたように啼き止み、翌朝までは静かにしていてくれる。

この熊ゼミが活動する時間帯が、実は我々が畑に出て作業するのに適した時間でもある。朝五時過ぎに起床し、二匹の犬を伴って散歩をした後、女房殿の手作りのパンを味わう。で、七時ちょっと前に畑に出るのだが、この時間になると蝉が騒ぎだし、女房殿の声も聞き取れぬ程。耳に栓でもしたくなる気分だが、涼しい間にあっという間に繁茂する雑草と闘うのである。トマトの芽摘みや伸びたキュウリを支柱に結わく作業は女房殿の仕事。機械を使っての畑起しと草払いが、僕の担当というところだろうか。当初心配していた蚊は余りおらず、暑いけれども長袖を羽織っていれば何とか大丈夫。

能古島に暮らし始めて、早十か月が過ぎようとしている。東京に暮らしている時には、天気予報というのは単に軽い情報でしかなかった。例えば、ゴルフに出かけるとか、撮影の仕事があるから雨は降って欲しくないなー、という程度であった。ところが、島に暮していると、畑が中心の生活になる。動物性蛋白質と米と小麦粉、後はパスタ等の麺類はどうしても自給という訳には行かぬから、フェリーに乗って買い出しに出かける。そうしたもの以外は全て畑で賄えているから不思議でしょうがない。この畑に頼る暮らしに欠かせないのが天気予報なのである。

Kubota Tamami

もう一つ、暦というのも重大な意味を持つことに気がついた。日本古来の日めくりのようなものには、田を耕すとか籾を蒔くとか田植えとか事細やかに表示されている。これは、平均的なものであるから、自分の住んでいる場所に置き換えて解釈すればよいのだ。暦に従っておおよその見当をつけて種を蒔く準備をしておけば、あらましの作物は育ってくれる。だが、種を蒔く準備というのは、種を買いそろえると言う意味ではない。畑を耕し堆肥を施したり畝を作ったりマルチをすることなのである。こうした下準備が結構大変で、天気予報を参考にして行動する訳だ。だから、天気予報には外れて欲しくないのである。長期予報で三日後に雨が降ると報らされると、それに合わせて播種。だが、雨が降らぬと慌てて水を撒かねばならない。

この水を撒くというのは、大変な仕事である。雨がしとしと一日中降るということは、仕事に置き換えたらとんでもないことである。バケツに二、三杯の水を如雨露に入れて散水したとしても、畑の表面が濡れるだけだろう。この程度の水分では、夏の太陽がジリジリと照りつけるとひとたまりもない。数時間でカラカラに乾いてしまう。三十センチの深さまで湿らすとなると、時間をかけてゆっくりと散水しなければならないのだ。特に、人参というのはデリケートで、乾燥に極端に弱いから失敗の連続。さりとて、畑にしょっちゅう水を与えているわけではない。トマト等の茄子科の植物は放任。病気と虫だけに気を配る。

人参に比べて楽なのが、カボチャ。カボチャは素人農業にはもってこい。苗さえ根付けば、雑草の中でも少々の日照りも関係ない。皮が固いからカラスも啄んだりは決してしない。スイカは既に三個 、熟れる寸前に食べられてしまった。それに引き換え、カボチャは偉い。かなりの面積は覚悟しなければならないが、兎に角強い。蔓が枯れて来たところで、収穫。今年は栗坊という直径が十センチ位のミニカボチャを植えたが、ポクポクとして本当に旨い。煮付けもよし、天ぷらもよし、裏ごししてスープにしても最高。カボチャくらい楽に育てば、畑は天国ではないだろうか…。



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