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いやはや、五十坪あるかないかの小さな畑にも、農繁期というものがあることを現実として受け止めた。特に、今年の春は異常であったようだ。

今住まっている能古島(のこのしま)は、彼岸を過ぎると何を植えてもそこそこ育つと聞いていたのだが、桜の花が咲いても遅霜というのに見舞われた。それも、数回にわたっての話である。幸い、今はマルチといって、ビニールのシートを敷いたり、霜除けのカバーで苗を覆ったりするのだが、種を蒔いたとしても気温が低くて発芽状態がまことに悪い。買い求めたキュウリやトマトの苗でさえ、寒さにやられて青枯れしてしまう。

という次第で、あらましの野菜類は一からやり直しということになる。が、暦は容赦なく進んで行くから大変だ。一つ一つをぼちぼちという訳には参らぬ。計画表に基づいて、逐次畑を起していたら何時になっても野菜は口に出来なくなる。おまけに、三月から雨が殆ど降ってはいないので、土はガチガチ。鍬を降り下ろしても跳ね返って来る始末。少しでも楽になるようにと買い求めた耕運機も、中途半端なキャパシティーで、固まった土の上では石を くわえ込んだかのように、ガタガタという大きな音を立ててエンジンが停止してしまうのだ。

仕方なしに、スコップで少しずつ畝の予定地を掘り起こし、その上から今度は小さい方の耕運機をかけて土塊を粉砕し、堆肥や鶏糞と混ぜ合わせてしばらく寝かせる。この時に、恵みの雨が降って呉れれば、肥料は土に馴染み野菜に優しい土となる筈。ジョウロで気持ち水を与えたとしても、雨には到底かなうものではないだろう。作物を育むということは、自然とうまく調和することにより成り立つことを改めて知らされたのである。

Kubota Tamami
昨年の秋の終わりに植え付けた、エンドウ豆とスナック(スナップとも言う)エンドウは完全に霜にやられてしまった。気が付いた時には、ようやく伸び始めた蔓が根元から枯れてしまっている。同時期に植え込んだ空豆は、寒冷紗で覆ったからだろう気温が安定するとグングン伸び始め、花も多く咲かせて呉れた。どうして空豆というのかと不思議に思っていたのだが、育ててみてようやく理解出来た。花が終わり実が付き始めると、始めは莢が空に向かって伸びるのだ。然る後、莢の中の豆が育って来ると自重により段々に下に落ちて来て、莢の縁が黒ずんできたら食べごろとなる。イタリア人は、ちょっと若い空豆にオリーブ油と塩をかけ、何と生で味わう。買った豆ではこの真似は叶わぬが、育ててみて初めてその旨さが分るのだ。

枯れてしまって植え直そうと思っていたエンドウ達は、驚いたことにちょっと暖かくなって来たら、新芽を土の中からどんどんと伸ばし始めた。ものの二週間くらいで、枯れる前の倍近くの大きさに育つと、スナックエンドウは白、普通のエンドウはえんじ色っぽい花を咲かせ、あっという間に実を付けてくれた。スナックは、莢の中の実がかなり膨らんでも柔らかいが、普通のエンドウは実が大きくなると固くなる。但し、中で大きくなった豆がグリンピースとして味わえる。正式には、グリンピース用の品種があるらしいのだが。

エンドウ達の実が食べられる頃になると、春先に蒔いたインゲンが大きくなる。インゲンには蔓なしと蔓の二種類あるが、彼等も実を付けはじめると一日に中ボウル一杯くらいの量になる。そうなると、毎日の食卓には豆、豆、豆となり、ようやく落ち着いた頃にはトウモロコシと混植した枝豆が食べ時となる。そして、トウモロコシ、落花生。コーンは豆とは異なるが、まあ似たようなもの。豆類は貴重な植物蛋白源とはなるが、毎日続くと豆地獄。たまには、肉が食べたくなるのは必定。


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