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世には、晴耕雨読という美しい言葉がある。晴れた日には畑に出て働き、雨が降ったら家の中で静かに本を呼んだり学習をしたりするものと、単純に四文字熟語をストレートに受け止めていた。数年間通っていた体験農園でも、雨の日は畑に入らぬこと、と、厳しく教えられていた。何故なら、雨の日は土が緩む。そんな時に畑に入ったら、例え作物を植えていない所でも、足で踏み付けるからグシャグシャになり、晴れたらその土が固まって植えた作物の根が伸びなくなる。確かにその通りであり、一度固まった土を柔らかく戻すのには大変な労力を必要とする。また、「キュウリやトマトが熟れたとしても、なるべくなら取らない方がよい。雨の中で熟れたものは、水っぽいから食べてもおいしくないでしょう」。確かに先生の教えは正しかった、カンカン照りにもいだトマトの味と、雨が続いた後のトマトの味は明らかに違う。

という次第で、雨の日はたまった原稿を片付けたり手紙を書いたりして机に向かうよう心がけていた。が、昨年から我が家に隣接している果樹園を借り受け、大きく育ったビワの木やスモモの世話もするようになった。これが問題なのである、木の上で完熟した果物は間違いなくおいしい。特にビワに至っては、堆肥や菜種油の搾りかすを一年に数回施したし、実の剪定をして三千枚の袋を被せた。それだけに、愛着も一入と言ってよい。ところがである、昨年は収穫時にはさして雨も降らなかった。そんな安心感があったからのんびりと構えていた、心配していたのはカラスに熟れたビワを盗られることぐらいだろうか。

Kubota Tamami
悲劇は週間天気予報から始まった、今年の梅雨は典型的な雨模様。一週間の間、傘マークが連続しているではないか。ちょっと小降りになった時、ビワ畑に赴き試食をしてみると既に完熟に近い。すわ一大事と、友人連を呼び寄せてのビワもぎ大会。雨の小康状態の時は合羽をかぶって黙々とビワを摘み、激しく降ると軒下に宿りながら友人達へ発送すべく箱詰め作業に取りかかる。それにしても、三千袋のビワの量は半端ではない。完全にビワ農家になった気分。約五日間は、ビワとの闘い。そうこうしている間に、梅の実に色がつき始めた。梅雨とはよく言ったものだ、青梅は梅雨入り前で、これは必要なだけもげばよいから数時間で終わる。だが、完熟した梅干し用の梅は、落すと直ぐに傷が付く。梅雨の間に塩に漬け込み、土用の頃に天日に三日間干して、紫蘇で色を着けるのだ。梅の実でてんてこ舞いをしていると、今度は一斉にスモモに色が着き始める。このスモモばかりは完熟したものは絶対に送れない。宅急便のクールで送っても、途中でグチャグチャになるだろう。従って、二日後に食べ頃なるようなのを選んで、丁寧に薄型の段ボールに詰めて送らねばならない。

梅雨前線の張り出し中に、このように過酷な作業が待っていたとは…。果樹園がある限り、晴耕雨読と言うような理想的な暮らし方は出来ないものと覚悟した。それぞれの収穫が終わると、お礼肥えなるものを幹の周りに施し、来年の更なる収穫を祈念する。これで終わりと思ったら、飛んでもない。遅れて実ったビワ、梅、スモモのジャム作りが始まる。僕は実を洗う程度だが、女房殿は寝る時間がない程。大鍋に入ったビワジャムをゆっくり混ぜたり、スモモのジュレに至っては煮込んだスモモを漉し布で漉す作業があり、これをもう一度煮詰めて壜に詰め、湯煎を施し雑菌を死滅させねばならないから大変。ジャムの壜も、数えたら二百本を超えている。そんなことで、我等夫婦にとっては、晴耕雨読ではなく、晴耕雨酷になってしまったようである。


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