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博多湾の能古の島に移住して、三回目の正月を無事に過ごした。何と言っても嬉しかったことは、節料理のほとんどの野菜を自給出来たことであろう。畑で作っていなかったものと言えば、蓮根とこんにゃく芋くらいだから、これはデパ地下に買い出しに行き調達。そんな訳で、我が家の定番料理である筑前煮の牛蒡、椎茸、人参、里芋、筍(これは裏山に生えている真竹を茹でて冷凍しておいた)。他にも、大根の煮しめや膾、酢カブ、千枚漬け用の聖護院大根(本来はカブを用いるのだが、間違えて大根を蒔いてしまった)、それに沢庵用の練馬大根等々、蕎麦用の辛み大根を含むと六種類の大根が自慢したいくらいに見事に育ってくれた。どうやら、我が菜園は根ものの野菜に向いているような気がする。

だが、種を蒔く時期が少し早かったのか、牛蒡だけがイメージと異なる姿に育ってしまった。一畝に二十本くらいの牛蒡を育てる予定で種を蒔き、本葉がしっかりしたところで間引きをして、予定通り二十株の苗が順調に育つかのように思えた。ところが、ちょうど梅雨の辺りに連続して激しい雨が降り、牛蒡畑とスイカ畑が水没してしまった。もともと田んぼだった所に僅かな土を入れ、無理矢理畑にした場所だから水はけが極端に悪いのだ。畑の中には、何筋かの水路が掘られてはいるものの、多量の雨が降るとその水路はオーバーフローをしてしまう。この、ミニ洪水が災いしたのであろう、牛蒡は次々に枯れ始めた。生き残ったのは、辛うじて水没を免れた四本のスイカと三本の牛蒡だけであった。

Kubota Tamami
能古に移住した際に、隣の畑名人から畝は出来るだけ高くしなさい、と忠告を受けていたのに…。それでもスイカは、敷き藁を施してやると何ごともなかったように蔓を伸ばしてくれ、十個以上の収穫が出来たので先ずは万歳。しかし、可愛そうだったのは牛蒡。僕には完全に見放され、半ば雑草のような扱いを受けて、危うく草刈りの際に淘汰されるところであった。草刈機を操作している時、何だか雑草とは違うような葉が見え隠れしていたのでよく見たら、牛蒡が三本生き残っているのを確認。急に愛おしくなり、周りの土を少し耕して追肥も施した。聞く所によると、牛蒡は乾燥には弱いそうなので、極端に日照りが続いた時には夕方に如雨露で水を与えたりもした。

これが功を奏したものか、九月を過ぎた頃からぐんぐんと成長をし始め、団扇のような大きな葉を何枚も付けてくれたのある。この成長を見て、真剣に牛蒡のことを調べてみたら、どうやら種を蒔くのが二か月近く早かったようで、しかも暑い時期には寒冷紗のようなもので日除けをして、直射日光から守ってやらないと駄目なようだ。で、この牛蒡の結末であるが、何と牛蒡の根がタコの足のように四方八方に伸び、それぞれが親指の太さくらいには成長していた。が、悲しいかな長さが十センチくらい。負け惜しみで、これが本牛蒡で、店で売られているのは一本牛蒡だ何てことを言って笑ってごまかした。正月用の料理には、叩き牛蒡の材料となり重箱の一角に陣取ることが出来た。味も香りも、まあまあの出来であったと自負している。

結論を申せば、我が家の畑は抜本的な改良が望まれる。一番小型のパワーシャベルを用いて、水はけが良くなるように溝を掘ること。加えて、畑全体をよく掘り起こし、粘土質の土に少し砂を混ぜるのと同時に完熟した堆肥を相当量入れて優しい土を作りだす。今は手掘りで土を寒返ししているが、気の遠くなる作業。望みは中古でもよいから機械を手に入れることだが、今の世の中リースの機械もあるようだから、体力のある間に実行したいと願っている。さすれば、根ものも葉ものを問わず、旨い野菜が堪能出来るのであろう。


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