店主敬白・其ノ拾六



かつて、築地の市場は、私の庭みたいなもので、毎日、市場へ行くのはあたりまえであった。最近は全く行かなくなってしまったが懐かしい場所である。私が市場へ行きだしたのは、はたち頃であった。最初は板前さんと一緒に行ったのだが、二、三日たった頃に、その板前から、今日は一人で行ってきてと言われ、バンを運転して行ってみた。箸袋の裏に、魚屋と八百屋の注文が書いてある。とにかくそれが読めないのである。毎回立ち寄る魚屋、八百屋もあるので、そこへ行って「これ何て読むの」と言うところから始まるのである。もちろん値段の相場もわからないから、全て相手まかせである。板前さんは夜が遅かったりした日は、ほとんど来ないから私なりの奮闘が始まった。
とにかく、品名も実物もわからないのである。八百屋も当時は和菜と洋菜とわかれていた。果物も別な店という風になっていた。注文書には、村芽、赤芽、防風、花穂、花丸、穂紫蘇、茗荷竹、谷中、木の芽、独活、等と書いてある。当時、大学生だった私には、縁のない文字や野菜であったから、どれがどれだかわからない。「ムラメ、キノメ、五箱ずつ、ええとそれから、ハナマルとハナホは三箱、それから、オオネ十本」と言ったら「オオネって何だ。ちょっと見せろ。なんだダイコンじゃないか。ばかっ」等とほとんど漫才みたいな時期もあった。
最近、調理場で聞いた話だが、見習いの板前に落し蓋を買いに行かせたら、豚の種類だと思って肉屋に買いに行ったのがいたという事を聞いたが、私もその頃は同じ様な事をしょっちゅうやっていた。

魚市場の方は当時、川魚屋、車えび屋、まぐろ屋、かじき屋、上物屋、穴子屋、寿司種屋等かなり専門分野がわかれていた。どうにか注文書が読める様になっても、品質の良し悪しも、まるでわからない。魚屋に聞いた方が、産地や港まで教えてくれるから、先ず、この人達にかわいがられる事が大事であった。私が一所懸命だったから、皆、本当に可愛がってくれて、良く教えてくれた。
それでも商売だから、油断していると時々変なものをつかまされる。市場には茶屋といわれている場所があって、そこまで魚を出してくれる。そこでよく検品をすれば良いのだが、とにかく混雑している市場だから、いち早く積んでしまう。そして、調理場に帰ると、いきなり「何で野〆の鯛が入っているのかよ」野〆とは市場で絞めた物でない、つまり、活鯛でないと言う事である。あるいは「こんな油臭い鱸使えるわけがない。すぐ取り替えて来い」野菜でもそんな事はしょっちゅうある。市場には場内・場外とあるが、場外では、主に珍味屋系の買い物をする。また、鱧等の一級品を産地から直接引いている店もあって、ここでの買い物もけっこうある。
さて相場の事であるが、私は魚、野菜等の全てのもののファイルを作った。そして、市場に着くとすぐ市場の事務所に行く。そこにはその日のセリ値が貼ってある。それを適当に写す。その日のだいたいの相場がわかる。そして、私が買ったもの一品一品全ての値段をグラフに書き込む。天気や台風の情報等も洩らさず書き込む。そうしているうちに相場がファイル上で読めるのである。
魚一品買うたびにその魚のファイルを覗き込む。「ゴマルは高いよ。いいとこヨンマルだよ」等と会話する。魚屋達は「どうもそのファイル見るのはやめて欲しいね。やりにくくてしょうがない」等と言うが、これがあると、やはり安く買えるから手放せなかった。

市場で買い物をする時、値段は符牒で言うが、魚屋で買う時はわりあい簡単である。八百屋の方が難しい。最近は寿司屋がこの符牒を使っているから、覚えてしまうと寿司屋に行った時に、数や値段がわかって面白いですよ。今日はその八百屋の符牒をちょっと書き出してみます。参考にしてください。十まで覚えれば大変なものです。
一はチョン(ピン)、二はブリ、三はゲタ、四はダリ、五がメノジ、六はロンジ(ロッポー)、七はセイナン、八はバンド、九はキワ(ガケ)、十でまたチョン(ピン)。十のあとも色々続く。例えば、十一はドウグ、十二はチョンブリ、二十一はノイチ、二十二はノノ一、二十五はヤッコ、三十五はゲタメ、百はソク。
ちょっとややこしいですね。これは私が市場に行っていた頃の話で、今は少し変わっているかもしれません。また、市場によっても全く違います。いずれにしても古い話であるが、慣れてしまうと市場は楽しい、楽しい場所でした。


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