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佐久を行く

車の右手に、浅間がくっきりと見える。今日の浅間は、紫がいやに紅がかっている。立秋を過ぎると山もちょっぴりおしゃれするのかも。かすかにたなびく白煙が、空になびく紗のスカーフみたいだ。

軽井沢は車のメッカのようでいて、案外、ドライヴに向いていない。国道一八号がメインの道で、あとは山だから、目的地を厳選しないとだめ。いつも鬼の押し出しというわけにいかないし、上田や小諸は町。長野の善光寺は夏には暑い。それに夏休みは交通渋滞があるから、〈渋滞キライ〉は、日を選んで出かける。

「土日はだめ。金曜も混む。いいのは水か木ね」

それは木曜日だった。目的地は望月町の春日。蓼科山の北麓の山ひだのひとつに抱かれた小さな町だ。町といっても、実体は稲田に風がそよぐ農村である。

「ウソみたいに空が真っ青!」

「ヨルダンの空みたいだけど、あれはもっと青がきつくて、雲がぜんぜんなかったわね」

日本の空は水分たっぷりだから、白い雲が、青い海を漂う羊みたいに浮かんでいる。羊はちっとも動かない。そこら中が八月のギンギンの太陽で黄色く燃えあがりそう。

両側に低い山が、なだらかな背中のように寝そべりはじめた。道はその間をまっすぐに正面の山にむかって走る。いつのまにか、蓼科山の広大な裾野のヒダのひとつに入りこんでいるのだ。

「あ、あった!」

小さな集落の入り口、道ばたの枯れ木に打ち付けた木ぎれに、目指す店、職人館のサイン。おいしいお蕎麦の店があると聞いての探訪だ。

白壁に堂々とした柱や棟木、黒い瓦の古い民家だ。十一時半開店にまだ間がある。黒い床を磨いていた女性に、もう少しです、と言われて、私たちは春日の町へ行ってみた。水田の向こうに見える本道へ、水田の中をショートカットして出ると、真新しい郵便局があった。一本しかない通りの両側に雑貨屋や公民館がちょぼちょぼと。すぐ上りになり、その先が春日温泉で、人家はそこまで。

一九四五年春、父は戦争がさらに悪化したら、疎開先の軽井沢から春日に移ろうと、「春日村竹ノ城の桜井六太氏の二階を借りた」と記録している。ここへの道のりは当時、小諸から七、八里、荷車と徒歩しかなかったという。

職人館は、中にはいると水田に向かって窓が開いていて、風が吹き抜ける。三〇度以上の暑い日なのに、中は気持ちいい。水田を風が渡って、赤とんぼが飛ぶ。貸し切りみたいに誰もいないのがすごい。

代々のお蕎麦屋ではなく、北沢正和、啓子さんというご夫婦が好きで始めたお蕎麦屋だ。今年で十一年目になるという。御牧や長者原の高原で栽培されるソバを使った手打ち、お醤油も地元の丸大豆からとるものを使っている。啓子さんは草木染めとホームスパンの織物が本職で、二階はぶち抜きのギャラリー、美しい作品でいっぱいだ。


器も感じよく、七味は善光寺の八幡屋


職人蕎麦がこれだ

メニュにはたっぷり目の職人そば、やや控え目の十割そばがある。娘は職人そば、私は十割そばにし、でもおいしさに結局お代わりして堪能した。

お蕎麦はざるに盛られ、下は備前焼みたいな大きめのお皿。お豆腐やお薬味は、白地に藍で愛嬌のある魚を描いた中国のもの。

職人蕎麦はスタンダード・メニュ。ほかに北沢さんが山から自分でとってきた山菜や、地元の農家から買う無農薬野菜でつくるひと皿料理もある。

「秋はきのこ、春先は山菜で。お蕎麦も職人蕎麦のほか、春は木の芽の摺りおろし、秋冬は柚子の皮の摺り下ろしを入れたのを作ったり。どんぐり蕎麦は、あくを抜いたどんぐりの粉を入れます」

地のものを生かして料理する、近在の人々の無農薬野菜を料理に取り入れる。「職人館」の意味は、手仕事で生きるカップルのアルティザンとしての心意気だ。窓下の低い棚には、手作り味噌や地卵や無農薬野菜が置かれ、ストーブの水盤には蓮の花が浮かべてある。暮しの美しさと地域のつながりが、うまくミックスしてる感じだ。 

信州は蕎麦処といわれるけれど、案外、これという店は少ない。ここにわざわざ来たのも、軽井沢周辺に行きたい店がないからだ。職人館を教えたのは、娘の同級生の変わり者の男。食べ好きで、へたな妥協をしないパーソナリティを信用してきて、ビンゴ!だった。

職人館は、水・木がお休みの日だが、八月は例外で営業している。私たちは運がよかった。

「ふだん休みだから、お客さまが知らないで、来ないんです」

「じゃ、運のいい日にきたんだわ!」

「『今日は空いててよかった』って私たちも言ってたんですよ。客商売してて、客がこなくていいなんて、ヘンな言い方ですが」

夫が言ってるところへ、バイクの音がして男の客がひとりはいってきた。親しげに主人夫妻と挨拶している。私たちもハローした。なんと彼は、京都からはるばるお蕎麦を食べに来たファンだった。

二階はギャラリー。開け放った広い窓から、水田と青空をひとり占めできる。啓子さんの作品は紅や朱の色の美しい、ウールやアルパカの織物。非売品だ。

ここで冬、雪に囲まれて機を織るのはどんなだろう? 夜は青白い月影に妖精が踊り、風の日は山姥が嶺から降りてきそうだ。啓子さんは松本の染め物のお店に生まれたから、織物とは無縁でない。 

「いま織物はお預けです。義理の親の介護で織物から離れてたし、ここ当分はお蕎麦屋の仕事にかかりきり。しばらくしたら本業に専念しますが」

「いい環境で手仕事できて、いいでしょうね?」

「ええ。でも冬はものすごく寒いんですよ」

寒さは軽井沢の比ではないらしい。巨大な山塊、蓼科山と八ヶ岳のすごさだろう。

春日のここに限らず、日本中で自分の生き方をつらぬく人が増えているのを最近見聞きすることが多い。すてきなことだと思う。

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