職人蕎麦がこれだ
メニュにはたっぷり目の職人そば、やや控え目の十割そばがある。娘は職人そば、私は十割そばにし、でもおいしさに結局お代わりして堪能した。
お蕎麦はざるに盛られ、下は備前焼みたいな大きめのお皿。お豆腐やお薬味は、白地に藍で愛嬌のある魚を描いた中国のもの。
職人蕎麦はスタンダード・メニュ。ほかに北沢さんが山から自分でとってきた山菜や、地元の農家から買う無農薬野菜でつくるひと皿料理もある。
「秋はきのこ、春先は山菜で。お蕎麦も職人蕎麦のほか、春は木の芽の摺りおろし、秋冬は柚子の皮の摺り下ろしを入れたのを作ったり。どんぐり蕎麦は、あくを抜いたどんぐりの粉を入れます」
地のものを生かして料理する、近在の人々の無農薬野菜を料理に取り入れる。「職人館」の意味は、手仕事で生きるカップルのアルティザンとしての心意気だ。窓下の低い棚には、手作り味噌や地卵や無農薬野菜が置かれ、ストーブの水盤には蓮の花が浮かべてある。暮しの美しさと地域のつながりが、うまくミックスしてる感じだ。
信州は蕎麦処といわれるけれど、案外、これという店は少ない。ここにわざわざ来たのも、軽井沢周辺に行きたい店がないからだ。職人館を教えたのは、娘の同級生の変わり者の男。食べ好きで、へたな妥協をしないパーソナリティを信用してきて、ビンゴ!だった。
職人館は、水・木がお休みの日だが、八月は例外で営業している。私たちは運がよかった。
「ふだん休みだから、お客さまが知らないで、来ないんです」
「じゃ、運のいい日にきたんだわ!」
「『今日は空いててよかった』って私たちも言ってたんですよ。客商売してて、客がこなくていいなんて、ヘンな言い方ですが」
夫が言ってるところへ、バイクの音がして男の客がひとりはいってきた。親しげに主人夫妻と挨拶している。私たちもハローした。なんと彼は、京都からはるばるお蕎麦を食べに来たファンだった。
二階はギャラリー。開け放った広い窓から、水田と青空をひとり占めできる。啓子さんの作品は紅や朱の色の美しい、ウールやアルパカの織物。非売品だ。
ここで冬、雪に囲まれて機を織るのはどんなだろう? 夜は青白い月影に妖精が踊り、風の日は山姥が嶺から降りてきそうだ。啓子さんは松本の染め物のお店に生まれたから、織物とは無縁でない。
「いま織物はお預けです。義理の親の介護で織物から離れてたし、ここ当分はお蕎麦屋の仕事にかかりきり。しばらくしたら本業に専念しますが」
「いい環境で手仕事できて、いいでしょうね?」
「ええ。でも冬はものすごく寒いんですよ」
寒さは軽井沢の比ではないらしい。巨大な山塊、蓼科山と八ヶ岳のすごさだろう。
春日のここに限らず、日本中で自分の生き方をつらぬく人が増えているのを最近見聞きすることが多い。すてきなことだと思う。
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