237.







どこでもローファット

旅先なのに居心地よく感じる街はニューヨーク。というより、アメリカが私に合っているのだ。もっともそれは、好みの食べ物に、あれこれ言わないでも、すぐ出会えることから来ている。ベーシックな食べ物で、好みのものがないほど、気持ちが萎えることはない。

ニューヨークで、コーヒーのレギュラーを頼むと、まず、はこばれてくるのは普通のミルクだ。

「ローファットを」

と言えば、すぐ出てくる。

東京では、黙っていればクリームがくる。ローファットを、と言うとやおら出てくるのは、ホテルぐらいで、それだって無いホテルもある。街のレストランでは、気の利いた店以外はあるほうが珍しい。

ニューヨークは私の行ったレストランではどこも、もうクリームは出さなかった。ヘルシーでないからだ。これが気に入った。甘く濃いクリーム、それも小さなパックに入りのクリームもどきなんか、ヘルシーでない上に、貧相でもある。

パンもヘルシー指向だ。白い軟らかなパンは探せばあるのだろうけど、たいていの店で会うのは、茶色っぽい自然なパンや、白くても固めのパンだ。

実はパンでは、東京を出るときにぎょっとすることに出逢っていた。成田に行くのに、ホテルオークラからのリムジンバスを予約した。朝七時二〇分に出るまで暇があり、コーヒーショップに降りて行った。七時ちょっと前。なんと、まだ開いていない!

お客の便宜のためには二十四時間営業していいところが、朝の七時に開いていないなんて。ボーイがやっとドアを開けた。パンのテーブルに近づくと、デーニッシュ系の甘いパンばかりだ。クロワッサンはバターでギロギロ光っている。

「甘くないパンやナチュラルなのはないの?」

「そういうのは置いてありません」

やっとライ麦系の半ボンドバターぐらいの小さなパンが、かぼそくスライスしてあるのを見つけ、それを六枚もらった。レジに行くと、眠そうな女が、

「百四十六円です」

百五十円払ってお釣りの四円は寄付ボックスへ。

「外国だったら、これっぽっちはボーイかレジの裁量でお金とらないわね」バスで娘に囁いた。
「『持ってって』とにっこり紙袋に入れるわ」

小さな出来事ながら、ホテルの気のきかなさと、ヘルシー感覚の遅れが、焼きサンドの型みたいに残った。

ところがニューヨークでは、私が期待するものは、どこでもちゃんと存在してるのだ。東京では私の要求はフシギがられ、ニューヨークでは当然のもの――この差は何なのか? 街の食料品店は、個人商店でも二十四時間開いてたりする。

東京の、健康への無関心、世界の速い動きへのアンテナの無さ、それが答えだ。

それは九月のなかばから末にかけての旅だった。異常気象で今年はニューヨークも暑く、娘と私は、

「夏支度で来てよかったわ」

うなずきあい、半袖で街を歩き回った。


会議に付き物のフリーのパンと飲み物は、ヘルシー指向


アムトラックの旅

ボストンはチャールス河の北側が、ハーヴァードのあるケンブリッジ。泊まったチャールス・ホテルでシンポジウムがある。降りていくと、会場の手前の広間にコーヒーやジュース、パンのテーブルが壁沿いに幾つも出ている。

「デーニッシュも、クロワッサンもないわね」

茶色のパンや各種のベーグルに、サワークリームのディップがチャイヴ入りや果物入りが四種類、果物。コーヒーは大きなコーヒーメイカーにレギュラーとアメリカンとカフェインレスがあって自分で注ぐ。お紅茶のティバッグが十種類以上。ミルクとローファットミルクが置いてあり、クリームはない。

それはフルブライトの日米五十周年記念にハーヴァード大学が主催する行事で、朝から夕方まで分科会がびっしり。私は最後の全体会議のパネラーとして「アメリカ発見」のテーマで、一九五〇年代のフルブライターとしての経験を、男性二人とともに話すことになっていた。そのパネルで、テーブルでめいめいの前に置かれているのは、冷たい水を入れたたっぷりした銀のジャグだ。

日本の委員会やパネルでは、水が出れば上出来、たいていジュースやコーヒーで、私はいつも「水ホシイ・色水コマル」だった。でも日本は、何がからだにいいか、何が自然かより、水はタダのもの、ゲストには色つき水でなければ失礼、と思うらしい。

でも、その「困る」という感覚が日本ではわかってもらえない。理解されないのはストレスになる。

だれかが本の中で「日本人であって、日本人らしくない言動をするヒトは、在日日本人という」と言ったけど、私はその意味で在日日本人だ。それを再確認したのが、今度のニューヨークだった。

望みのものがすんなりある、望みを言うとそのまま理解される――とても気持ちがいい。

ボストンへは、列車で行った。この五百キロほどの行程を、たいていの日本人はヒコーキで行く。でも旅は車か列車が面白い。私鉄のアムトラックは、日本のJRよりサーヴィスがいい。お昼になるとメニュがくばられ、注文をとりにくる。

オーダーしたチキンサラダは、大きめのボウルにたっぷりのサラダ、その上にボイルド・チキンが載っている。ドレッシングが添えてあるけど、ローカロリーだ。ちゃんと布のナプキンもある。ワインは六種類、お酒は十種類以上リストに並んでいる。

これが汽車の旅というもの。JRでは、車内の食事はハイカロリーでヘルシーからほど遠く、野菜不足、濃い味付けなので、いつもお弁当持参だった。

ケンブリッジのチャールス・ホテルでは、ルームサーヴィスのメニュに「十二歳以下の子供メニュ」があった。量が少なく、単純な食べ物で、安い。

街でも交通でも、ハードウェアのゴージャスさを狙うのが日本のトレンドだけど、アメリカには親身なサーヴィスが方々にある。これはどこからくる違いだろうか?

無断転載を禁じます