どこでもローファット
旅先なのに居心地よく感じる街はニューヨーク。というより、アメリカが私に合っているのだ。もっともそれは、好みの食べ物に、あれこれ言わないでも、すぐ出会えることから来ている。ベーシックな食べ物で、好みのものがないほど、気持ちが萎えることはない。
ニューヨークで、コーヒーのレギュラーを頼むと、まず、はこばれてくるのは普通のミルクだ。
「ローファットを」
と言えば、すぐ出てくる。
東京では、黙っていればクリームがくる。ローファットを、と言うとやおら出てくるのは、ホテルぐらいで、それだって無いホテルもある。街のレストランでは、気の利いた店以外はあるほうが珍しい。
ニューヨークは私の行ったレストランではどこも、もうクリームは出さなかった。ヘルシーでないからだ。これが気に入った。甘く濃いクリーム、それも小さなパックに入りのクリームもどきなんか、ヘルシーでない上に、貧相でもある。
パンもヘルシー指向だ。白い軟らかなパンは探せばあるのだろうけど、たいていの店で会うのは、茶色っぽい自然なパンや、白くても固めのパンだ。
実はパンでは、東京を出るときにぎょっとすることに出逢っていた。成田に行くのに、ホテルオークラからのリムジンバスを予約した。朝七時二〇分に出るまで暇があり、コーヒーショップに降りて行った。七時ちょっと前。なんと、まだ開いていない!
お客の便宜のためには二十四時間営業していいところが、朝の七時に開いていないなんて。ボーイがやっとドアを開けた。パンのテーブルに近づくと、デーニッシュ系の甘いパンばかりだ。クロワッサンはバターでギロギロ光っている。
「甘くないパンやナチュラルなのはないの?」
「そういうのは置いてありません」
やっとライ麦系の半ボンドバターぐらいの小さなパンが、かぼそくスライスしてあるのを見つけ、それを六枚もらった。レジに行くと、眠そうな女が、
「百四十六円です」
百五十円払ってお釣りの四円は寄付ボックスへ。
「外国だったら、これっぽっちはボーイかレジの裁量でお金とらないわね」バスで娘に囁いた。
「『持ってって』とにっこり紙袋に入れるわ」
小さな出来事ながら、ホテルの気のきかなさと、ヘルシー感覚の遅れが、焼きサンドの型みたいに残った。
ところがニューヨークでは、私が期待するものは、どこでもちゃんと存在してるのだ。東京では私の要求はフシギがられ、ニューヨークでは当然のもの――この差は何なのか? 街の食料品店は、個人商店でも二十四時間開いてたりする。
東京の、健康への無関心、世界の速い動きへのアンテナの無さ、それが答えだ。
それは九月のなかばから末にかけての旅だった。異常気象で今年はニューヨークも暑く、娘と私は、
「夏支度で来てよかったわ」
うなずきあい、半袖で街を歩き回った。
|