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葉山の海

その家の二階に上がったとたん、目を見張った。

天井から床までのガラス窓の向こう一面に、青い相模湾がひろがり、木で張ったひろびろしたサンデッキに、木のガーデン・チェアとテーブル。
こんなところで海を見ながらお昼寝! 夕方はカンパリ・ソーダを片手に夕日を眺める!

「なんてすてきなところ!」

それは葉山一色を過ぎ、長者ケ崎に近い山の中腹である。

葉山の海岸からは、正面に富士山がそびえ、夕日はその肩に落ちることを、私は子供のときから知っている。休みごとに一色の海で眺めていたから。
それにしても最高のロケーションだ。

白壁と白木のしゃれた二階家。一階に寝室と掘りごたつの和室があり、眺めがいいが、二階はさらに眺望がひらけ、階段を上がったラウンジで私はすてき!と叫んだのだ。ラウンジを中にはさんで、右側にダイニングキッチン、左側にリヴィングルーム。

この家の主は、海の眺めを楽しむためにここを建てたのだ。リヴィングルームの天井は高く、細長いピラミッドみたいな天窓がそびえて、電動でガラスをスライドさせると海の空気が上からたっぷりはいるつくり。

好みのために工夫し、お金をかけているのが一目でわかる、カントゥリー調のシンプルな住まいだ。キッチンがいちばん気に入った。

キッチンの戸棚は、モミの木みたいに濃くて明るいグリーンのエナメルで、シンクとカウンターのトップはステンレス。ガスレンジはボッシュで本格派。流しは山側向きだけど、カウンターがL字型に伸びて、食卓とフレンチ・ウィンドウの方を向いているから、お料理しながら海を目前に眺められる。

ここでの一日の台所仕事は、さぞ楽しかったにちがいない。釣ってきた魚をさばいて、ベランダでバーベキュウでもしたのだろうか? 話しが過去形になるのは、この家に永年住んだご夫婦は六○代になり、山腹を昇る階段も大変になって、隣にハートセンターが出来たのを機会に、海に近い金沢八景のマンションに引っ越されたという。
住んでいた人に幸せだと思うのは、この家のすばらしさをひとつもそこなわずに、そのまま家が残されて、ハートセンターの施設に取り込まれていることだ。戸外の木の渡り廊下でつながっている。

医療グループの徳洲会のハートセンターは、心臓では日本一といわれる施設で、私の遠い親類もここに入院して手術した。病院の話では、
「心臓手術の患者さんは、不安になるものですから、いきなり入院でなく、ここに泊まって心の準備をしてから、手術できるようになっているのです」



緑のダイニングキッチン、窓の向こうは一面の海!



システムキッチンのナゾ

インダストリアル・デザイナーの瑠璃さんも、

「このお台所いいわね、よくできてるわ」

と感心の面もち。

「こんなところに暮らしたら、人生楽しいわね」

「もったいないわ、ここをやめちゃうなんて」

「でも、実際に暮らすと、年とったら都会のほうがラクなんじゃない?」

たしかに、海からの西風がまともに当たる山の中腹は、嵐のときはものすごいだろう。

知人の女性が、定年後、江ノ島の見える中古マンションを買って、いまはやりの女友達と共有の暮らしを始めることにした。台所の改造に一千万かけたというので、みなが驚き呆れた。

「なぜそんなにかけたの?」

「ワーキングウーマンだったあなたに、一千万円分のお料理の腕があるの?」

「だってシステムキッチン入れたんですもの」

あわてた彼女は「相棒が、だんぜんそれにしようって言ったのよ」と弁解した。

「日本のシステムキッチンて、名前だけ。システム化されてないの。システムなら、どのメーカーの冷蔵庫でもガスレンジでもぴたり入るべきなのに、日本のはそのメーカーのしか入らないでしょ」

「うーん、そこまで考えなかったわ。戸棚のドアが赤く、つるつるですてきだったんだもの」 
瑠璃さんはデザイナーだから、きっぱり、

「キッチンの改造なら、二百万から二百五十万円でりっぱなものになるわ」

葉山で、この小さな出来事を思い出していた。 

いったい、何が使い良いキッチンなのか? 

「日本のキッチンは、男が概念だけで造るからダメなんだ」

友達のデザイナーは言い、私も大賛成だ。

お料理への関心が二極分化してる時代だ。何ひとつ作らず、作れず、買ったものばかり食べる料理音痴、生活音痴がいるかと思うと、おそばを挽いて蕎麦打ちに凝るひとも増えた。

キッチンはジェンダー、つまり性的な役割が色濃く残る場所でもある。女だけに家事を押しつけ、台所に知らんぷりの夫はまだ多い。最近のミシガン大学の調査でも、世界の先進国で異常に家事時間が短いのは日本の男性だ。

友達の若い夫婦は、ジェンダー・フリーで、キッチンは男二人(夫と息子)と女一人(妻)が使うから、二対一で男性の寸法にあわせて高め。女性は高さを調節するためにキッチンではサボをはく。

どこの家でもキッチンを充分広くとれるわけではないから、道具をどうセレクトするかは思案のしどころ。うちでも冷蔵庫は二つある代わり、電子レンジを追い出し、自動炊飯器も無し。おいしく調理できない上、場所をとりすぎる道具だからだ。

「お台所が空いた!」

とニャジニャジ(うちの猫語)していたら、またモノが増えてしまった。パスタマシーンである。これは、台所のモノはどこまで減らせるか、どれを増やすか、の永遠のテーマの見本だ。料理のために必要だとモノが増える。アイスクリーム・メイカー、ワッフル・マシーン、そしてパスタ・マシーン。

「これ以上、ものいらない」と言ってたのに買ったのは、娘の友達の男が、これに夢中だからだ。彼の話しがいかにもおいしそうで、つい買ってしまい、太るのを承知でパスタを作っている。

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