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ニューヨーカーはデリっ子

「ニューヨークって働いてる人には暮らしよさそうね」

アレッサンドラのアパートから戻って、娘に言った。四〇階のホテルの窓から、街のきらめきと、ハドソン川とニュージャージーの灯が見える。

「ほんと! デリカテッセンが方々にあって、おいしくて安いから、独身でも、子持ちでも、シニアでもお料理の心配なしに暮らせるわ」

お料理に凝るのは、私や娘のような自由業の特権。昆布でお出汁をとり、デザートをつくり、電子レンジは人に上げてしまい、いい食材を好きに料理して暮らせるけど、子持ちで外で働く女には、東京は大変だ。キャリアとキッチンは両立しにくい。デリカテッセンは少なく値段も高い。デパチカ(下品な言葉)の既製品は名店風で、日々食べるには飽きがくる。一人暮らしのシニアは、手近のコンビニ弁当に頼りがちだが、味、栄養ともに問題が多い。

従妹の娘アレッサンドラは、ニューヨークのビジネスウーマン、若いけど部下を二十人持つ実力派。自力でセントラル・パークに近い、すばらしいアパートを買ったばかりだ。その前はスタジオ式アパートメントだった。新居にカクテルに招かれて、典型的なニューヨーカーの暮らしを見た。りっぱなレンジのある機能的なキッチンは、カウンターで居間と仕切るオープン・キッチン。隣室が食堂になるのを、自転車とソファを置いて、この家には食卓がない!

「お料理なんかしないのよ。ふだんはカウンターで充分。夜はお友達と外食が多いし」

にっこりするアレッサンドラは、

「先週、友達八十人よんでパーティやったの」

とけろり。アメリカ式のパーティは、立食でカクテルとシンプルな食べ物ですむから、独身・既婚を問わずニューヨーカーは、デリの食べ物を活かしてエンタテインする。デリヴァリーも発達している。

みんな超忙しく働いて、アフター・ファイヴは、私生活を楽しむのにまた超忙しいから、クッキングに凝ってるヒマがない。スローフードは、働くニューヨーカーには夢物語。アメリカのアパートはりっぱなレンジが必ずついているけど、ディンクス(Double Income No Kids)やシンクス(Single Income No Kids私の造語)にはお飾りだ。

その宵、私のいとこ、つまりアレッサンドラのママは郊外の家から来て、居間のコーナーのソファにみんなで座り、ティテーブルの上のスモークド・サーモンやムール貝、パテ、チーズ各種を楽しんだ。

「みんなゼイバースで買ったの。でもこれだけは私の特製!」

という凍るようなマルガリータは彼女のお得意。

気軽なパーティを可能にするのが、デリカテッセンの存在で、種類が豊富で味がよく、値段も安い。

東京のデリは値段が高すぎて、日常に頼るにも、パーティをまかなうのもムリ。ちょっと買っても五、六千円、オードヴルは大皿一万円するから、ぜんぶで何万かかることか。それがニューヨークは安くすむのが魅力だ。考えたら当然で東京の物価は永年、世界一と不名誉なランキングなのだから。

ロウアー・マンハッタンにあるディーン&デルーカは、ディスプレイもしゃれた高級デリだけど、東京からみれば安いものだ。いちばん高いのはマディスン街のE.A.T.だろうが、でも東京はさらに高い。

質がいいのに、だんぜん安くて品揃えも豊富なのが、アッパー・ウェストにあるゼイバースだ。ここは食べ好きなら、はいったら手ぶらじゃ出られない、食料倉庫みたいな気取らない専門店。チーズの山、オリーヴは樽詰めが幾つもあって、すくって買う。スモークド・サーモンは一週間で二トン売れるというすごさ。アイルランド、ノールウェイ、カナダ、ノヴァ、聞いたこともない島など、世界中の産地のが並んでいる。さまざまな加工をしたハムやビーフの長い列。どれも好きなだけ切ってくれる。

「アイリッシュ? どんな味?」

に、切ってくれるお味見の一切れが大きい!


ゼイバースは店員と話ながら買う店


ホテルの場所も大事

ホテル選びに旅行者は迷うけど、安全と親切と上品さから、私と娘はいつもリーガロイヤル・ニューヨークだ。地の利がよく、セキュリティがいい、全室スゥィートで快適だし、日本人スタッフもいる。

六番街と七番街の間で五四丁目に面しているのが女の好みにあう。五番街に続くマディスン街は、ファッショナブルな店がひしめく。バーニース、トッズから、サンローラン、シャネルなど五四丁目から上にある。私の好きな風変わりな店もこの辺だ。ミュージアムやリンカーンセンターもアッパーだし、はやりの美味しいレストランも近くに多い。

「疲れたわね。ホテルに戻って一休みしない?」

が気楽にできる。ビジネスマンが泊まる四〇丁目あたりのホテルは、移動に時間がかかりすぎる。三時すぎるとタクシーが掴まりにくくなる街だから、近さはとても大事だ。

バーニースはこぢんまりしたおしゃれなデパートで、以前地下にあったレストランを九階の眺めのあるフロアに移した。〈フレッズ〉といい、味よくサーヴィスもいいから、買い物ついでに食べるひとで混んでいる。周りでは、巨大なボウル入りのサラダを食べる女性が多い。サラダはどこで食べてもたっぷりしたのがあって、野菜好きにはうれしい。私は〈アスパラガスのバルサミコソース、チーズ焼き〉と〈エセルの野菜スープ〉が気に入った。スープはテイクアウトが一人前八ドル。その夜はメトロポリタンに「トゥランドット」を観にいくから、二つ買って、お部屋でスナックと決めこんだ。

ところが、ゼイバースはさらに上をいく。スープの〈TO GO〉(テイクアウト)の、たっぷりの一人前が三ドルで、二十三種類も並んでいる! 私がよくつくるマッシュルームスープなど、低脂肪、普通のミルク、クリームのと、素材別に三種類もある。

「ヘルシーに気をつかってるんだわ」

夕暮れどき、一人暮らしらしい老人や、勤め帰りの女性がポイ、ポイ、箱を篭に入れていく。サラダの棚も選ぶのに困る多さで、若い女をまねて買ってみたブルスケッタは、とてもおいしかった。

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